アジア農民共に生きる会会報

Association of Asian Farmers for Cooperative Living (AFCoL)

有機農業によってアジアの農民の自立に協力しよう

発行:20029月  第2

現状報告
 戸松 正

 スマトラで活動を開始して1年余りが経過した。その間5回の調査、技術指導、若干の資金協力を行いながら、小嶋君を2回派遣した。小嶋の活動については 本人が後述するが、昨年の試作に良好な結果を得、本年1月5日から本格的に活動を開始した。
 昨年の結果に比べ、技術的には問題の多いスタートであった。しかしそれを克服し順調に進み始めた矢先、ビザ延長不可能ということで突然5月14日帰国し た。その後現在まで再入国、ビザ取得の為に多くの団体と連絡を取り合い、現在に至っている。
 現地の団体(RDA)は活動資金に困窮していたが、6月中旬我々が紹介したアジアコミュニティトラストより予想以上の多額の助成金(160万円)がおり 現地側の活動資金は潤沢になった。今後大きな問題が発生しなければ、多分2年ぐらいは助成が継続される見込みであり、現地側の資金問題は解消した。
 反面我々の助成金申請は2つともだめになった。1つの団体は我々が設立間もない団体であり、現段階では公的活動として認めにくいというのが大きな理由で あった。もう1つの団体は申請後、書類選考時小嶋の帰国と重なり、再渡航がいつ可能かということもあり、申請を辞退せざるを得なくなった。その助成金は現 在も保留されているとの話である。
 9月中旬小嶋と一緒にビザ問題および今後の派遣、滞在の可能性を探る為再度渡航の予定である。
 小嶋が帰国して4ヶ月近くなる。やりたいことができず日々パソコンを眺めながら連絡を取り合い、待機するというのはなかなかつらいものである。とりあえ ず今回の渡航で継続の方向性を探りたいと考えている。具体的にはRDA及び県知事からの推薦によって国連ボランティアで派遣することが可能かどうか。メソ ジスト教会を通じての長期ビザ取得が可能か。最後の手段としてブラスタギ(インドネシア最大の野菜産地)農業試験場とタイアップし、インドネシア農業省と 関わりが持てるかということである。

         〈ブラスタギの市場〉

しかし残念なことに最近になって1ヶ月以上ウェスリー氏とは連絡が取れていない。メール、ファックス等で何回も連絡しているがいっこうに返事がない。助成 金がおり、仕事が忙しくなり、自宅に帰る頻度は少なくなったことは理解できる。しかしそれまで1~2週間に1度は必ず連絡が取れていたにもかかわらず、今 は無の礫である。
 そんなこともあり今後スマトラで活動するにしても他の場所も考え始めている。野菜産地ブラスタギが大きな候補地である。標高1,300M余のなだらかで 肥沃な丘陵が続く東南アジアでも有数の野菜産地であり、我々の技術を遺憾なく発揮できる場所でもある。
 そんな理由で会員の皆様には早く会報を出さねばと思いながらも、延び延びになってしまった。今回の渡航は私が3週間、小嶋は2ヶ月の予定である。新しい 進展を願いながら、会員の方々のご協力に感謝する次第である。 
合掌

4ヶ月間を振り返り
小嶋 英嗣

 1月にビナガ村へ発ってから4ヶ月滞在の後、5月14日に一時帰国致しました。私の当面の役割は、比較的よい結果を得られた昨年の試験栽培を踏まえて、 ト レーニングセンターの柱の一つである野菜栽培の技術確立をすることにあります。しかし今回は失敗も多くありました。
 近くで手に入る水牛糞、落ち葉、米ぬか等を利用してのボカシ肥をいくら施しても生育は鈍く、病害虫も多発しました。前回は地力でとれていたという認識が 足 りなかったこと。また、窒素分を供給する材料の入手を速やかに行えなかったこと。反省すべき点は多々あります。米ぬかや、これまで使っていた水牛糞などよ りは窒素分の高い鶏糞は1キロ当たり5円ほど。魚粉は1キロ20円程もします。物価を考えるとそれらの値段は日本に比べてかなり高いものです。そのような 材料を使って、仮に現在畑として使える2反ほどの面積から大きな被害もなしに収穫できたとしても、種子代や販売のための輸送費等を差し引くと一月の利益は 数千円にも満たないか差し引きゼロといった具合です。なかなか思い切って前に進めない日々が続きました。
 4月に戸松さんがビナガ村を訪ねられ、その際様々なご指導とご指摘をいただきました。その中で一番大きな問題としておっしゃっていただいたことは、「反 省」をしっかりするということです。その時々で今までをしっかり「反省」し、今後の対策を練る。後は思い切って進む。漠然とではなく、結果をきちんと整理 して「反省」をする。その上でなければ方向性は出てこず、前に進めない。まったく基本的なことができていなかったと痛感しています。
 以前から手配してあったもののなかなか入手できなかった3トントラック1台分の鶏糞がやっと手に入り(トラックの運賃と山道を水牛で運ぶための費用で原 価 の5割もかかってしまったり、1袋30~40キロはあるという話だったのが実際は20キロもなかったりと、多々問題はありましたが)、その他の肥料の原料 を探しに車を所有する人に頼んで町を周り魚粉や米ぬか、キャッサバの粕などを手に入れ、新しいボカシを作り始めました。また、私とスタッフのマントとでは なかなかはかどらなかった堆肥作りも、村の人を雇って材料集めをしてもらい大量に作り出しました。土壌の劣化を防ぐためにはどうするか、生産コストをどう やって下げていくか、さまざま検討しなければならないことはありますが初期段階ではコスト高になってしまう部分は割り切って、生産する中からよりベターな 方法を探ろうと動き出しました。
 そんな中、それまで予測していなかった問題が持ち上がりました。私が滞在するためのビザの問題です。渡航前に大使館で今回の活動内容について説明し、 6ヶ 月まで延長可能でまたすぐに再取得できるビザを発給してもらったのですが、現地へ行ってからは現地の入国管理局が全ての決定権を持ちます。活動に対する十 分な理解を受けることができず、ビザの延長不可という事態になってしまいました。ウェスリー氏のRDAという団体は立ち上がったばかりのNGOであり、ト レーニングセンターもまだまだ周辺地域に対して直接的な活動をする段階には至っていません。そのような中、この活動に対して、関係する役所から、そして地 域の人々の理解を得ていくことも大きな問題としてあり重要なことです。
 帰国してから4ヶ月近く。再渡航に向けての問題解決のために各方面と連絡を取り合ってきました。直接RDAに対してのインドネシアでの長期滞在は難しい 状 況にありますが、先の4ヶ月間を振り返っての「反省」を次につなげて行きたく考えています。

     〈現地スタッフによる堆肥作り〉

インドネシアのビザ
小嶋 英嗣

 海外に滞在する、しかも長期に、ということにどれ程の制約があると皆さんはお考えでしょうか。恥ずかしながら私は今回の問題が起こるまでこれほど大変な も のだとは思っていませんでした。渡航前にインドネシア大使館で事情を説明し、「わかりました。このビザで6ヶ月まで滞在できます。その後の再取得もシンガ ポール等で簡単にできます。」といわれて発給されたビザを手に、安心して滞在しているつもりでした。
 何かおかしいと思ったのは2回目の延長の時。かなりしつこく滞在理由を聞かれました。このときにビザに記されている番号に気付き、ウェスリー氏の親しい 入国管理局のオフィサーからビザについての資料を入手しました。そこで始めて、私の手にしていたビザが単に団体間の話し合いのみに適用されるということが わかりました。そして厳密に言えば私がセンターで畑に出て仕事をすれば、それがたとえ収入を伴わない指導ということであっても違法ということになってしま います。後でわかったことですが、実際に入国管理局のオフィサー2名がセンターを視察に来ていたことを知りました。幸い雨の後で道が悪くそのときは途中で 引き上げたということでしたが、もしそのときに何も知らずに畑で仕事をしているところを目撃されれば、強制退去、再入国不可という事態になっていたかも知 れません。
その後さまざま調べ、外国人が長期に、指導的な立場で収入を伴わないにしろ滞在するためにはキタスと呼ばれるビザが必要であるとわかりました。しかしこの キタスを所持するためには受け入れ団体の要請に対してのインドネシア政府の承認が必要となります。この政府の承認も、知名度のある規模の大きなNGO、政 府の登録NGOであれば可能性はありますが、RDAのような立ち上がったばかりの小さなNGOにとってはほとんど不可能であることもわかりました。現在そ のほかの方法も様々検討していますが、草の根レベルでの協力をしたくても最後には政府の承認という問題があります。日本でもNGO参加問題が鈴木宗男、田 中真紀子、外務省と続々と続いたように、どこの国でも大なり小なり政府はこのような活動に対してまだまだ協力的とはいえません。                 

     〈ブラスタギ、トバ湖周辺の地図〉                  〈穏やかなトバ湖の風景〉

マントの未来図
 小嶋 英嗣

 トレーニングセンターのスタッフの一人、スリマント・リンガ。通称マント。代表のウェスリー氏の弟である。スタッフというよりはボランティア。センター が経済的に厳しい中、これまで無給で働いてきた。学校は中学までで、その後村に戻り家の農業の手伝いをして暮らしていた。若干22歳。ウェスリー氏はあち こち動き回ることが多く、センターでは彼と私の二人だけで仕事をすることが多かった。かなりの働き者だ。野菜栽培やボカシ肥の作り方など、いつも一緒に仕 事をして教えてきた。しかし、昔から伝わる知恵など農業自体は彼のほうがかなりの先輩であり、私が彼から学ぶこともかなりあった。夜、20畳ほどのスタッ フハウスに二人で雑魚寝をして、ランプの明かりの下いろいろな話をした。そんな中から少し書いてみたい。マントの農業に対する思い、夢について・・・。

小嶋(以下,小):なんで町に出ないで村で農業をしようと思ったの?
マント(以下,マ):町で仕事をしようと思えばいろいろできるよ。大工の手伝いもできるし、ベチャ(自転車タクシー)の運ちゃんや荷物運びの仕事もでき る。だけど村の暮らしで十分。
小:農業は好き?
マ:住むだけだったらやっぱり町がいい。いろんなものがあるし。だけど今の僕の頭の中は全部が百姓。だから村に住む。理屈じゃなく、頭と体は百姓なんだ。 それに、農業を通して色んなことを学べると思う。町でベチャの仕事も出来るけど、それは好きな仕事じゃないから将来の糧にはならない。だけど農業は好き だ。だからこの村で暮らし、農業をし、それはきっと将来の糧となっていくと思う。
小:センターでの仕事はどう?
マ:今はいろいろ大変だ。お金目当てだったらやっぱり働けないな。考えることがあるから続けられる。後は・・、今は全部人力だからちょっとした機械でもあ ればなー。センターで得たことを生かして将来的には自分で何かを作り上げたい。今の周りの農家のような形じゃなく、経営のことも考えて村で多くの人が働け る場所を作りたい。町へ出て行かなくてもいい暮らしを作りたい。
小:町で働いてる友達が正月なんかに帰ってくる。どう思う?

〈水牛と呼吸を合わせての代かき水牛を操るのはマント氏〉

マ:やっぱり少しはお金を持ってるから、うらやましく思う気持ちもある。だけどほとんどの友達は単に町の農場のワーカーとして働いてるんだ。自分が独立し て村で経済的にも余裕のある農場を作れたら、それを見た友達は「おっ、ここでもやっていけるんだ。」と思うだろう。そして一緒に働いて、僕が今センターで 働きながら得ているようなことをみんなも得ることができて、
いずれはみんな独立してやっていけたら・・
ビナガでの、ほとんどコーヒーだけの農家の暮らしを経済的によくすることは難しくはないんじゃないかと思う。コーヒーの質を上げるように頑張ったりしたら ね。だけど、センターがやろうとしているような農業、色んなものを組み合わせた農業でうまくやれたらもっと強くなれると思う。
小:そのためにどうしたらいい?
マ:センターを良いものにしないとね。毎日忙しく働いてる。何かをしてる。だけど答えはわからない。アー、難しいなー。でも道はひとつじゃない。今これが だめだったんだから、次はこう・・。方法はいろいろある。
                   

インドネシアのアジア学院卒業生
 長嶋 清

アジア学院は栃木県の県北・西那須野に30年前に出来た民間の研修期間で、アジア・アフリカ等の農村地域社会で人々の生活向上に貢献する献身的な草の根 の指導者を養成するために、毎年30名前後の研修生を受け入れております。インドネシアからも毎年数名が参加し、北スマトラには多くの卒業生がおり、農村 地域の中で色々の分野で活動しております。
 今年の3月11日から17日にかけ、アジア学院第二回卒業生の集まりがインドネシアの北スマトラで行われました。私も今回は卒業生として参加しました。 と言うのは私自身も前身の研修センターの卒業生であり、アジア学院では創立のときから仕事をしてきました。しかし、私にとっては今回初めてのインドネシア 訪問で、多くの農村で活動する卒業生、旧い友人達に会うことが出来ました。ダイリ県ビナガ村で活動するウェスレーさんは1993年度の卒業生で、2000 年度の研究科生として私と一緒に仕事をし、研修プログラムを支援してくれました。その為,この機会に彼の活動現場を見ること、会から派遣された小嶋さんの 農業協力現場を見ること、私にとってもとても楽しみにしていたことです。
多くのアジアの国が属している熱帯モンスーン気候において、乾期と雨期の明瞭な中で、天水農業をどのように工夫していくのかは、私にとってもとても関心を 持っていることでした。
公共の輸送手段のある町から数キロ離れたセンター農場では、棚田での米、野菜、豆など、家畜としては鶏、豚、そして溜池での魚の養殖と、自給、循環型の複 合農業に取り組んでいました。一泊二日の限られた滞在ではありましたが、彼らの頑張っている様子を見ることが出来ました。
 今回の北スマトラの訪問では、他の卒業生達が取り組んでいる村落開発の種々の活動,更に農業面では豆科の潅木を等高線上に栽培し、土壌流亡を防ぎながら 行う傾斜地農法、トバ湖での改良されたティラピアの生け簀養殖、森林での混殖による育林の現場等を訪ね学ぶことが出来ました。
 これら北スマトラの卒業生達と小嶋君達が少しずつ関わりをもち新たな協力関係が始まることを願ってやみません。
        〈長嶋氏とマント氏〉

農具について
 小嶋 英嗣

現地の農民の使う農具は、鍬1本とナタ、のみ。それだけというわけではないが普段使うものはその二つがほとんどである。朝、それぞれの畑へ向かうスタイ ルはみな同じ。腰に木のケースをくくりつけそれにナタを刺し、肩には鍬。どんな仕事もほとんどこれ2つで器用に片付ける。鍬では土を起こすことから除草、 代かき、道路の修理、水路の補修・・・。ナタでは竹を切ることから、その竹を使ってはしごを作ったり柵を作ったり、そして料理にも。羊などをさばくことか ら材料の皮むきまで実に器用に使う。柄としては、鍬には硬い素材の木で、ナタには竹の根を使っている。竹の地際の根はちょうどピストルの握り部分のように 曲がっていて、振り回すことの多いなたの柄にちょうどいい。それよりも竹の根は木よりも硬く丈夫なのだ。たまに、仲間が集まると、自分たちのナタの研ぎ具 合やその竹の柄の出来について自慢しあっている。他の村へ行くときも必ずナタを持って山道を歩いていく。道路の草や小枝など、邪魔になるものを切りなが ら。そんな、人の歩く道を維持しながら生活する姿を見ていると、ナタはこの地域の農民のシンボルのようなものかも知れないと思う。
一本のナタにも先人の知恵が息づき、受け継がれている。ほかのどの土地とも同じように。
    

      〈インドネシアの棚田の風景〉

編集後記

 
 この会の設立以前、初めてスマトラに渡り調査を開始し始めてからはや一年が過ぎました。ビザの問題からここへきて活動が立ち止まってしまい、会員の方々 に対して申し訳なく思っております。今回の渡航でぜひ打開の道を探し、次につなげていきたいと思います。
 3月以降もさらにご寄付をいただき、114名の方々より、総額2,028,670円(9月10日現在)となりました。皆様からのこの貴重なご助力に対し て、深くお礼申し上げます。
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