アジア農民共に生きる会会報

Association of Asian Farmers for Cooperative Living (AFCoL)

有機農業によってアジアの農民の自立に協力しよう

                           発行:2003年3月  第4号

ブラスタギに農場を開設して
 戸松 正
 9月に農業試験場と話し合い、活動を継続する為、生きる会独自の農場をスマトラ最大の野菜産地ブラスタギに開設した。11月2日小嶋君を再度派遣し、私 も11月20日から1月末まで現地に滞在し活動してきた。
現在75aの土地を借用し、多くの野菜の試作から始めた。今まで試験場で使っていた土地の為、農薬や化学肥料が相当撒かれた土地であり、当初の試作結果は あまり良いとはいえない。又、12月から本格的な雨季をむかえ、連日の雨ということもその理由の一つにあげられる。
 現在私達は、鍬、万能、スコップ、カマ、ナタなどの現地の使いにくい小農具と2台の一輪車しかなく、その作業の大部分はすべて手作業である。日本のよう に耕運機や管理機、刈り払い機などある訳でなく、幼少のころおやじがやっていた農法(50年以上前)に戻った感じである。
 日本では無料の有機資材が大量に入手でき、堆肥撒布も簡単にできる。しかしここでは、有機農業の基本である堆肥による土作りが非常に困難であり、畑に堆 肥を全層施用することは材料の入手、運搬、施用を考えると莫大な労力がかかってしまう。こういう状態でいかに有機農業を実施するかということである。緑肥 の栽培、土中ボカシ(鶏糞を前もってまいておき、畑の中で醗酵させたあと種まき)、ボカシ肥の使用、堆肥の植え穴(溝)撒布、敷きわら(草)などを工夫 し、不耕起ないし半耕起栽培によって、有機農業技術を確立しようと考えている。無無尽くしで大変であるが、現地農民サイドに立つと何も無いところからス タートすることにより、現地に適応した有機農業技術が確立できると考えている。(多少痩せ我慢

でもあるがこちらも資金不足、そういう風に発想していきたい。)
 現在まで試作は30種類以上、品種は100品種以上にのぼる。前述した不適な土壌、雨季にもかかわらず数品目(キヌサヤ、サラダ菜、カボチャ、ネギ、レ タス、サツマ、大根など)は無農薬でも順調に育っている。今からが野菜の育ちやすい乾季。もっと多くの作物が有機栽培で栽培可能になるであろう。
 今まで活動、現地の団体RDAに協力し、その運営にかかわることと異なり、独自の農場を作るということはその何倍もの努力が必要である。まずは地域やイ ンドネシアの習慣を学ぶことから始めなければならない。野菜を作ったとしても現地の食習慣に合わなければ生産は無駄になってしまう。一例をあげると無農薬 で立派な大根が収穫されたが現地の人は大根のにおいがきらいでそれを無料であげようが喜ぶどころか拒否されてしまうようなこともあった。貧しいインドネシ ア人は多くの野菜を食べる習慣はない。華僑とある程度裕福なインドネシア人が多くの野菜を食べるといえる。このような中で日本の有機農業運動の中で培って きた生産者と消費者の提携的な方法はなかなかむずかしいであろう。販路をいかに求め、将来の自立運営農場にむすびつけるかどうかである。
 まずは今年、1~2年が大きな運営上の胸つき八丁になるであろう。4月に又、1ヶ月程行き、スタッフと一緒に共に汗を流してくる考えである。

活動報告
(2002年11月4日~2003年3月4日)
小嶋 英嗣
 11月に再渡航し、昨年1ヶ月の試験・準備を踏まえブラスタギ農業試験場での活動が本格的に始まりました。生産面では、土作りと同時進行での各野菜の試 験栽培の継続と半不耕起栽培の取り組みなど。そして生産の見込みが立ち始めた時点から、現状では全く無い有機農産物の販路の開拓にあたりました。また、研 修生も受け入れ、毎日の作業と生活を共にしての指導を行っています。
 
1.土作り
 長年化学肥料と農薬を多投しての栽培が行われてきた試験場の圃場において、いかにして有機物の投入を図り土壌を改善していくか。近辺では植物残渣等の粗 大有機物を入手するのは困難で、購入可能な有機物材料も安くはなく、さらに外部から搬入しようとするとその輸送コストも高くつく。また、周辺農家で農業機 械を使用しているところは大規模農場以外皆無に等しく、ほぼ全ての作業が人力となることを考えると、仮に有機物材料がそろい堆肥を作ったとしてもその運搬 や散布には大変な労力がかかる。身近なところからの粗大有機物の入手を工夫し、コストを抑え、さらに、いかに労力の軽減をはかっていくかが問題である。以 上のことから、次の4つの方法での土作りに取り組んだ。
a.緑肥の活用
b.土中ボカシの利用
c.堆肥の利用
d.ボカシ肥の利用
 周辺で栽培されているトウモロコシと陸稲を緑肥として作付け粗大有機物の投入源とし、入手できる有機物としては比較的安価な鶏糞を散布し、ある程度の発 酵期間をおいてからの作付けをした(土中ボカシ的利用)。緑肥は日本から持参した6品種も小面積で試験したが、そのうちのエンバク(イネ科)とヘアリー ベッチ(マメ科)の成績が良く、今後採種できるかどうかも見ながら試験を継続していく。また、現地にあるマメ科植物も今後試験し、導入の可能性を探ってい く予定である。試験開始間もない頃は多くの野菜で肥料不足の傾向が見られたが、鶏糞の土中ボカシ的利用によりだいぶ改善された。
 畑の雑草や緑肥として作付けたトウモロコシを一部利用して堆肥を作った。これは今後、定植する植え穴や播種したものの表面においていくなど、作物の根回 りの環境改善と労力の軽減のために局所的に用いていく予定である。
 ボカシ肥は、周辺で入手できる鶏糞、米ヌカ、魚粉、オカラ、土を材料にした。日本であればただで手に入るものも現地では安くはなく、ある程度の肥料分を 維持しながらコストを抑えるように配合量を工夫した。
  このボカシ肥には試験場も非常に関心を持ち、試験場長に対する説明や職員に対しての指導も行った。
 
〈試験場長をまじえてのボカシ作り:左から、小嶋、戸松、シララヒ試験場長、アシスタントのヘリアント〉

2.半不耕 起栽培の取り組み
 機械の使用がほとんどない状況で、小規模農民が導入可能な低投入型の技術として、半不耕起栽培の試験を行った。野菜を作るウネを固定し、植物残渣や肥料 を表層に置いていく方法である。植物の根が土を耕し、微生物が増えて土壌環境が改善されていくと期待できるが、短期間では結果はでず、今後も有機物の堆積 を繰り返しながら経過を見ていくことになる。

3.作物、 品種間差試験
 前述した土作りや半不耕起栽培の試験と平行して、日本から持参した種子、現地で購入したもの、あわせて35種類、114品種の野菜を栽培し、現地の気象 条件と有機農業に適した作物、品種を探した。
 今回の試験中は雨季に当たり、しかも例年になく雨量が多いということであったが以下の13種類の野菜について生産の見込みを付けることができた。
・サツマイモ     ・キュウリ
・サトイモ      ・カボチャ
・キヌサヤ(現地種) ・レタス
・ダイコン      ・リーフレタス
・ニンジン      ・ミツバ
・ネギ        ・シュンギク
・リーキ       
 土ができていない状況で、センチュウにより根部が奇形となるものが多く、ニンジンの場合、10品種の試験をし、現地で購入したわずか1品種が良い結果を 示した。
 乾季においての条件は雨季とかなり違うと聞いており、一年を通じての作物・品種の選定に向けて試験を重ねていく。
 
〈野菜の生育状況:左から、キャベツ、ブロッコリー、キヌサヤ(現地種)〉

4.販路の 開拓
 今後の生産物販売の可能性を探るため、ブラスタギやメダンのホテル、スーパー、レストランを対象に、生産できた野菜をサンプルとして持参し担当者との話 し合いを重ねた。メダンの一部のホテルやスーパーで非常に良い反応を得ている。また、ブラスタギの市場で日曜市を開き、販売と同時にこの活動についての説 明を行った。有機農産物に対する人々の意識がまだ低い中、非常に理解を示してくれる人にも出会え、このような活動を通して消費者の会員作りにもつながれば と考えている。

5.研修生 への指導
 1月よりアシスタントとして1名、そして研修生1名を地元のプロテスタント教会の孤児院より受け入れ、日々の実践を通しながらの指導を行っている。
 寝食を共にし、毎日の作業を通しての技術的なものだけではなく、有機農業の目指すべき、自給、自立、暮らし方といったものまでそこには含まれる。研修生 の存在は、単に技術を普及させる対象としてではなく、有機農業的思想を今後共に考え実践していく仲間としての意味が大きい。このような仲間が増えていくこ とで、本取り組みが大きな流れとなっていくことが可能であると思う。

 活動開始当初は、協力相手機関である農業試験場職員はじめ、有機栽培がどういうものであるか、そしてこの地域でこの方法での栽培が本当に可能であるか疑 問視している感があったように思います。しかし、4ヶ月が経過した今、実践を通して、職員をはじめとする人々の理解が少しずつ得られてきていると実感して います。試験場長は、技術的な意見交換のために時々私たちの家に立ち寄ってくれ、試験場でのボカシ肥にも取り組み始めています。また、アジア学院卒業生と の交流から、様々な協力関係が出来つつあります。
 昨年協力活動を行っていたRDAの農業トレーニングセンター(TC)との交流も続いています。1月にTC側からスタッフ、研修生、村の農民合わせて9名 が見学に訪れ、2月にはこちらから、アシスタント、研修生と共にTCに行き、技術的な意見交換や、日本での有機農業運動、そして提携のことなど幅広いディ スカッションを行いました。
 圃場では引き続いて地域に適した有機農業技術の確立に努めると同時に、これら各方面との関係を大切にし、この活動が徐々に周囲に対して広がりを見せてい くものと思います。今はその可能性が感じられ始めています。

〈ビナガ村、TCより見学に訪れる:中央、ウェスリー氏〉

「挨拶」
鈴鹿 明廣
 この度、戸松さんの強引なる押しに、“仕切りなおし”をしている暇がなく本会の理事(と言っても現地理事、現地での助言と実動を惜しまない)に名を連ね る 事になりました鈴鹿 明廣と申します。
 野州、烏山に有機栽培と人的教育で努力しているとは聞いておりました。その戸松さんが4年前にスマトラ高原まで来られた時から今日まで、そのエネルギー と 言いますか、ま、ある種の毒気な様なものに翻弄されつつある私と言うのが正直なところです。
 本会の理事である矢澤さんが書いておられる”何も無い所から急がずにやって行こう“の流れは私の座右の銘”一竿風月“に通じる感ありにて、スマトラ高原 の 活動拠点を訪問させて頂いたのですが、なんとそこにはネパールのラプティー農場で大変お世話になった浜田さんがまるで夢想庵の仙人の様な風体で居られるの に驚きました。浜田さんが言われるように戸松さんが物凄いエネルギーをもった機関車であるのは万人の知るところであり、その軌道修正、脱線、転覆の回避を 成すべきは内助の功の真知子様以外になく、なぜ私がその任務を!と泣き叫んだとて駆けつけてくれる者あらずでした。
その後この村に係わっていく事で多々の意見交換を重宝なメールで交信している間に、何の悪戯か“戸松-ウィルス”に感染してしまった様であります。
 帰農志塾の活動の継続を拝見させて頂いてその社会への有意義なインパクトに感じ入っている私ですから知らぬ存ぜず顔の半兵衛を決め込む訳にゆかず、今ま で 小出しにしていた現地情報を今回は一挙に放出する羽目になりました。
 この度の活動拠点は天と地の利は申し分ないと思います。機関車の石炭をくべる助手の方も育っているようです。後は此処に係わってくる人々を、如何に急が ず に調和させて機関車に連結させていくか!戸松さんの腕の見せ所と期待しているのです。
 私は一事で万事と推測出来うる力量は有り得ません。ま、言ってみれば枯れ木も山の賑わい的存在であり、スマトラ高原で多少のアドバイスが出来れば良しと さ せて貰います。しかるに現況は“朝に道を聞かば夕べに死すとは全く不可なり!でして、“アジア農民共に生きる”の現地での活動から色々と学んで行く事が多 いと考えている昨今でもあります。
 個人的には学生の頃よりアフリカのサバンナ植生の中をほっつき歩いた影響でしょうか、此処マラッカ海峡の湿潤オアシスが気に入ってどっぷり浸かっていま す。幸いマレーシアでの永住権は取得出来ていますので、願わくば赤道直下の高原に多数の野菜、温帯果樹そしてニワトリ、ヤギ、ナマズ等に囲まれ、バイオガ スや風力発電付きのニッパヤシ高床式御殿で自給自足を基盤とした生活を自らが始める意欲に燃え出しました。そして近い将来はマラッカ海峡風来坊連中と飽食 の日本列島よりの棄民集団を集結させて、原始共同体的村落の長老として君臨しているかもしれません~~~?
 今後とも宜しくお願い致します。
  〈生育中のネギ(手前)とカボチャ(奥)〉

 
 〈ブラスタギに近い、トバ湖北端からの眺め〉

活動を離れるにあたって
 小嶋 英嗣
 この度、この活動から離れることになりました。様々な現実の中で最後までやり通せなかった事を大変申し訳なく思っています。
 以前から、ゆくゆくは日本で就農し、自分も独立した一農民でありたいという思いがありましたが、このところその思いは一層強く、現地での活動を屋後君に 引き継ぎ、辞めることに了承をいただきました。
 会の設立以前の様々な準備段階から今回の活動に関わり、様々な経験をさせていただきました。その中で、それまでの自分には足りない部分、だめな部分にも 多く気づかされ、自分自身の試行錯誤と合わせて多くの勉強をさせていただきました。このことは本当に貴重で、感謝の一言に尽きます。
 今後はこれらの経験を糧に、日本で就農する考えです。農業は自分自身の考えや生き方を表現する大切な手段です。これまで以上の試行錯誤、失敗、壁が待っ ていることと思いますが、全ては自分自身から出てくるもの。楽しみ、そして、将来また様々な関わりを持っていける様努力します。
現在のブラスタギ農業試験場に活動場所が落ち着くまでに、そして現在でも、日本で、現地で、実にたくさんの方々のご協力を仰ぎ、そのご好意に対してきちん とした態度が取れていたかというと、反省すべきことも多く、お詫びの念と同時に感謝の言葉につきません。活動を支援くださっている多くの方々、そして帰農 志塾の塾生としての時からご指導頂いてきた戸松さんに対し、深く感謝いたします。
ありがとうございました。
2ヶ月
屋後 浩幸
1月10日。重い荷物と期待と不安を抱えて、インドネシアに第一歩を踏み出した。真冬の日本から来た身にとっては蒸し暑い。日本の真夏のようだ。じっとり とした空気の中でタクシーの運ちゃんの客引きが始まった。インドネシア語と英語、そして日本語を混ぜ押しかけてくる。日本にはないアジアの日常。そう想い ながら現実が飲み込めてくる。インドネシアに来たのだと。
 新しい生活は言葉の壁から始まった。インドネシア語は簡単と聞き、安心していた自分が甘かった。日本で少しかじったが、全く使えない。何を言われている のか分からない。伝えたいことをどう表現すればよいのか分からない。疲れている時、つい聞き流してしまう。このままではと思い、とりあえず辞書を常に持 ち、初めて出会う単語を調べた。2ヶ月経った今、畑での作業と簡単な会話はインドネシア語で出来るようになった。
 食文化の違い。畑はまだ試作と土作りの段階だが、今後野菜の作付け計画に影響してくる。そして自分自身にも。生来ホームシックにはかからない性格だが、 食事は日本食が恋しくなる。現地研修生と交代で自炊しているが、体調の良くない朝に、唐辛子が大量に入った赤いスープと脂ぎったチャーハンはつらい。シジ ミの味噌汁に、ナスの浅漬け・・・と想いながら、「郷に入れば、郷に従え」と、自分を説得して箸をすすめさせる。インドネシア料理は唐辛子を多く使う。当 初は食べられなかった辛い料理が、好きになりつつある。
 運営者であるということ。塾の研修生でいた時は持っていなかった視野。作付け、販売、運営、会計、研修生の将来、人間関係、そして責任の重さと人々の期 待。例え一つの農作業でも多くのことを学ぶことが出来る。
 慣れない新しい生活が、少し日常に変わってきたと感じる今日この頃である。
    
         〈収穫した野菜〉             〈日曜市の開催:中央、アシスタントのヘリアント〉

小嶋君と屋後君のこと
 戸松 正
 小嶋が帰農志塾に入塾して4年になる。塾の東南アジアでの活動を模索し始め、彼とはフィリピンを共に旅し、マレーシア、タイ、ベトナムの農業を視察する 機会を持ってもらった。その後二人でインドネシアに行き、スマトラのビナガ村で有機農業を始めたウェスリー氏に協力することになった。
 そのような経緯を経て、帰農志塾の活動としてではなく、一昨年アジア農民共に生きる会を設立し活動してきた。昨年はビザ問題で一時継続困難になり、独自 の農場をブラスタギに開設し、昨年の秋より本格的に活動を再開した。数ヶ月小嶋を派遣した結果、当初懐疑的だった試験場内での評価はずいぶん良くなった。 彼に今年もやってもらう考えでいたが、30才をこえ、長男でもあり、活動の継続が困難になった。そんな訳で、1月早々屋後を派遣し、小嶋との2ヶ月の重複 期間をもち、今回屋後と交代することになった。
 屋後は非常に明るい性格で、困難にぶつかっても前向きに方向転換できる性格の持ち主である。独自の農場運営という大変な道にはなったが、今後は屋後君と の二人三脚で、有機農業の普及、農民の自立のための教育農場をスマトラで築いていくことになる。
 小嶋君、建設初期の大変な時期、ご苦労さんでした。今後日本で君自身の自立のための農場建設が始まる。今までの経験を生かし、冬の長い青森で創意工夫し 努力してもらいたい。あとは屋後に任せて。
〈左から、小嶋、ヘリアント、研修生のサトリアワン、屋後〉
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