アジア農民共に生きる会会報

Association of Asian Farmers for Cooperative Living (AFCoL)

有機農業によってアジアの農民の自立に協力しよう

発行:2003年8月  第5号

緊急渡航
戸松 正

 今回の訪問は屋後君のVISAに関する問題が主たる目的であった。6月6日屋後からファクスが届いた。副場長と話し合った結果、協定書のVISAの解釈 で試験場からTo help to get long tern visa for AFCoL’s expertsであり、To get visaではないと言われたとのことである。そんな馬鹿な!毎回の訪問のたびにVISAのことを話し合ってきたではないか。農業省にも試験場から前回の訪 問の際、手紙を出してくれたではないか。何をいまさら言い出すかと怒りさえも感じてきた。結局手紙を出すだけでその後何もしてくれていなかったということ である。そんな訳で6月24日から7月2日までVISA問題を話し合い、方向づけるために渡航した。
 インドネシアはVISAの取得は大変だということを昨年まで関わってきたMr.Weslyの農業トレーニングセンターへの協力の際、身にしみる程知っ た。そういうことで活動の場を公の機関である国の試験場に替えた経緯がある。国の機関なら問題なく取得できると考えたからでもある。
 またこの地を選んだ最大の理由はスマトラ最大の野菜の大産地であり、大きな問題が将来的に発生すると考えたからでもある。すなわち今までの輸出先のマ レーシア、シンガポールが有機志向になりつつあり、シンガポールでは農薬多用のスマトラの野菜を拒否しつつあるという状況も出始めている。有機農業を定着 させることがスマトラの農業、環境、自然循環に大切であり、農民の農業による自立の道も可能と考えたからでもある。
 農場を開設して8ヶ月畑は徐々に改善され始め、4月の訪問時10品目の野菜(ネギ、人参、サラダ菜、レタス、カボチャ、絹さや、サツマイモ等)がコンス タントに取れ始めていたが2ヶ月あまりたった今、問題であったインゲン、白菜、キャベツ、リーキなども生育が順調に進み始めている。また青梗(ちんげん) 菜や小松菜など根こぶ病で根っこが犯されていたがそれも改善されつつある。しかも新しく使い始めた畑より2作目3作目と使うほど畑は良くなりつつあり、不 耕起小投入の農法で生産のめどについては明るい方向が見え始めた。しかしナス科の作物(ジャガイモ、トマト、ナス、ピーマン)は長雨や温度の関係で問題は 大きい。今年は3週間ほど雨が降らなかったようだがその後また雨期に入り、よく雨が降っているようだ。これらの作物は技術開発には時間がかかるかもしれな い。
 今大きな問題は販路を如何にして開くかという事である。屋後君は会員を探すことやレストランやスーパーマーケットなどを精力的に回っているが反応が悪す ぎるようである。スマトラでは有機で売っている店はなく、消費者の意識もほとんど有機志向ではない。このような現状の中で販路開拓に悪戦苦闘している。い ずれ努力は稔ると思うが畑の生産物の半分以上が有機としての価値がなく、処分せざるを得ないのが実情である。作っても売れない現状では研修生の増員も困難 な状況である。
 話をVISAに戻そう。帰国後も大使館に行ったり、現地の知人や屋後君と連絡を取り合ったり、生きる会の緊急会議をしたり、八方手を尽くしVISA問題 を解決すべく、ここ1ヶ月余りVISAのことだけで動いてきた。理事長、副理事長から撤退の意見も出された。しかし独自でVISA取得に動き始めた。 2〜3ヶ月と多少のお金がかかるが観光での滞在には限界もあり、止む終えない選択であった。
 こんな現状でもあり、以前より少し元気がないような感じも受けたが、屋後君自体前向きに努力している。農場開設直後何を栽培してもなかなかうまくいかな かったが、わずか半年で好転しているのだ。販路その他も、いずれ笑い話になる時期があるだろう。                

〈ブラスタギ農場のロゴ、今後、店で販売する際このロゴシールを野菜に添付する予定。宇都宮在住、アジア農民共に生きる会会員の吉田美佐さん作成〉

サイの目
屋後 浩幸

 数ヶ月前までは、単純に毎日が楽しかった。新しい生活、異なる文化、風習、少しずつ良くなっていく畑の状態。どちらかと言うと、旅人気分の延長で暮らし いた。
 日々が過ぎていくと、良くも悪くもインドネシア社会が見えてくる。良い面だけに注目して悪い所は日本と違って当たり前と自分を納得させている。時々、そ れがストレスとなっているのを感じる。悪い点を列挙すると単なる愚痴になってしまうが、一つだけ敢えて書かせてもらうと、調子の良い口約束が多い。最大の ストレスとなったのは、それがビザとからんだ時だった。
 その日が来るまで、ビザに関しては活動拠点の試験場に任せっきりだった。何も調べず勉強していなかった自分にも非はあった。幾度と「ビザはどうなってい ますか」と試験場職員に尋ねると「今申請中だ」との返事。その言葉を鵜呑みし、受領の日を待っていたある日、試験場から呼び出された。部屋に入ると、開口 一番、大学の卒業証明書、履歴書等、必要書類を揃えて“代理店”でビザ申請を始めてとのこと。吉本新喜劇ばりにイスからずり落ちそうになった。
 今まで信頼していた人から裏切られた気分だったが、落ち込んでいる暇は無かった。海外で生活、活動するのに、ビザは最も重要なもの。一日でも早く、確実 に取得しよう、その一心で情報集めから始めた。ビザについての知識も無く、試験場ではインドネシア語で説明されたので、何が必要か正確には理解していな かった。まずはインターネット。が、日本語サイトは文字化け。仕方なく英文を読んだ。が、頭の解読能力を超えていた。代理店へ足を運んだり、捕まるのを覚 悟して、出入国管理局で詳細を尋ねたり。ビザへの理解度が進むにつれて、その複雑さ、難解さが明らかになり、不安に陥った。前任者の小嶋さんはビザが問題 になって昨年インドネシアでの協力活動を諦めざるを得なかった。同じ事が自分にも起こるかも。一抹の不安を抱えながらの毎日。畑で鍬をふるっても、食事を していても“ビザ”の二文字が頭の隅にこびりついている。
 未だ、ビザ取得までは到ってないが、「進行中」とだけは断言できる。ビザ取得か、出入国管理官に見つかるか、どちらが早いかのレースの最中。精神的に辛 いが、悩んでいても事は改善しない。最悪の場合、ここでの活動を終えて、日本へ帰国。そうなったら日本への帰路、マレー半島を北上し、東南アジア、海洋ア ジアを旅しよう。旅人気分を実践しよう。そう考えると、管理官に見つかるのも悪くない。
サイの目はどちらに転がるか?もしくは予想だにしなかった新しい局面に転がるか?問題は根本的にはいまだ解決していないが開き直るしかない。訪れるものを 肯定的に受け止めよう。全てはいつか懐かしい思い出になるから。               


スタッフが変わって

 1月末に帰国し、2ヶ月ぶりの再訪である。4月2日から21日まで約3週間滞在した。農場は小嶋の帰国後、屋後が非常によくがんばっており、わずか3ヶ 月でインドネシア語の日常会話、研修生との仕事など、農場の現状は私が想像した以上に進み始めている。
 生産面では10種類近い野菜がコンスタントに獲れ始めており、今後その品目数を如何に増やしていくかという事である。11月から毎月降り続く雨、草、病 気との戦いでもある。梅雨が数ヶ月降り続く気象状況を想像していただければ分かりやすいと思う。
 5月から始まる乾期、今まで失敗していたキウリやトマト、葉物などの野菜を何種類増すことができるだろうか。また、雨期には良く育っていた野菜が乾期に は不調になるものがどれぐらいあるか。雨期の病気、乾期の虫、この対策をいかにしていくか。取りあえず1年間最低経験してみないと明確な方向は出せない。
 今の最大のネックは野菜の配送のコストに見合うだけの生産がされておらず、如何に低価格で最大の都市メダンまで運搬するかという事である。取りあえず無 料で週1回少量なら運んでくれる人を見つけたが、この高温化では週2回の出荷は最低限必要である。また販路開発も大きな仕事になりつつあり、インドネシア 人の嗜好の問題も我々には大きい壁である。
 ビザ取得手続きや警察への届出にもかかわらず、袖の下の要求もある。また独自の運営とは言いながらも来訪者の試験場への連絡、報告等々々、日本でやって きた数倍の努力が必要になってくる。
帰農志塾に飽き足らず、インドネシアを選択し、ビザ問題で独自の自立農場を設立したことに悔いはないが、遣り甲斐があり過ぎる程ある。しかも将来現地サイ ドは日本からの支援なしに自立運営できる農場構想である。他のNGOがその道をあまり選択しない理由を解かるような気がしてきた。
 ただ己が選択した道であり、大きな問題を楽しく捉えられればと思う。(性急な私の性格ではちょっと無理かもしれないが)諸々の事がありながらも今月から 研修生も増えた。また地元カロ大学の先生や学生もよく来るようになった。農場を開設して数ヶ月、やるべき事は山積みされている。逐一計画を立て、計画を見 直しながらインドネシアで成り立つ自立農場の建設と有機農業の普及に力を注ぎたい。
 小嶋と変わり、もっと若い屋後のことが少し心配ではあったが、彼は活き活きと仕事をしており、こんな楽しい仕事はない、仕事とは思っていないとも言って いる。この国での彼のやり方を見ていると将来大きく育っていくような気がする。彼の笑顔と前向きな性格がこの農場をスマトラに有機農業を広めてくれるだろ う。大変な事は山ほどあっても彼と共に進んでいきたい。

化学との戦い
へリーアント グルシンガ

 去年の11月から有機農業を学んでいる。当初は半信半疑で働き、学んでいた。化学肥料、農薬なしで野菜が作れるか? その農法が農民にとって良いのか?  自分の将来にとってどうなのか?と疑問が多くあったからである。
 ここ、ブラスタギの農場に来て、すでに8ヶ月経った。有機農業は、野菜をよりおいしくし、人間の健康に良く、自然環境にも優しいと思う。半信半疑の気持 ちは、有機農業が好きに今では変わった。そして、化学物質なしでも野菜は育つことを実体験している。
 ここでの研修を終えたら、将来は、自分の故郷に戻り、有機農業を行いたい。そして、少しでもインドネシアに有機農業を広めることに協力できればと思う。

食文化
 屋後 浩幸

 犬を食べた。炭火で焼かれた肉を、犬の血と数種の香辛料をじっくり煮込んだタレをつけて口に入れる。油っこくなく、臭味もなくおいしい。店は12時とい うこともあって客で賑わっている。人々の喧騒の中、外から犬が吠えているのが聞こえる。おもわず、肉片を掴んでいた手を休め、同席したインドネシア人に尋 ねると、明日の食材だろうとのそっけない返事。
 インドネシアでは、宗教による違いはあるものの、犬を食べることは珍しくない。他にコウモリや猿やイモムシ等々。別の日には「馬乳販売中」の看板に遭 遇。勢い勇んで店内に入ったが、残念ながら品切れだった。
 インドネシア人に、日本では生の魚を食べると教えると皆すごい表情になる。タコにイカに貝に、と続けるとその顔がひきつってくる。うまさをいくら力説し ても、全く理解されず、視線は冷たいままだ。
 食文化の違いは、時に感情的になり、嫌悪感や差別を生み出す。良い例が鯨肉についてだろう。各々の民族の食文化を尊重して、理性で考えないとダメだ、と 思っていた所、研修生の一人があるインドネシアの部族は昔、人食の習慣があったと教えてくれた。
今度は僕の顔がひきつっていた。

 〈現地農民への有機農業についての講演光景〉


肩書
屋後 浩幸

 販路開拓や畑を訪れる人と会う時、名刺を渡す。「生きる会」の名称と、自分の名前、住所、電話番号、そして“manager”と書かれている名刺であ る。肩書は好きではないが、肩書無しの上、幼く見られる自分の顔では、販路開拓の際、真剣に取り合ってくれなかった。仕方なく、名刺には “manager”の一文字を入れ、顔には似合いもしないヒゲを生やしている。
 もう一つの肩書は日本から有機農業を広める為に来た技術専門家。帰農志塾で2年余り。こちらに来て半年。実質、百姓歴は、わずか2年半。野菜栽培は、現 地で学び、分かってきたが、知識と経験に厚みは無い。そんな日本の青二才が時に先生になってしまう。
 現地の農民に有機農業について講演してとの誘いがあった。何を話せばよいのか、と断ろうと思ったが、折角だから彼らの役に立つことをと話のネタを探し た。
 内容は、不耕起栽培(畝を固定して、永続的に使い、土を深く耕さない方法)、敷草の奨励、相性の良い作物の同時栽培、自家製肥料(ボカシ)の作り方。当 日、つたないインドネシア語での説明を真剣な眼差しで聞き、ノートに書き写している現地農民の姿を見ることができた。一通り説明し、質問の嵐にあった。栽 培技術のこと、日本のこと、個人的なこと。
 百姓歴、数十年の老人が、病気にかかったとうがらしを持って来て、この病気に効く薬は何かと尋ねられた。最近、この病気が蔓延し、村中で困っているとの こと。とうがらしは、現地の農民にとって一番の収入源で、彼らにとっては、ワラにも掴む思いで遠い国から来た“先生”に期待している。その想いが伝わるほ ど彼らの表情は真剣だ。が、当の“先生”は農薬を触ったことすらない。農薬の固有名称も知らない。知っているのは、自然農薬のストチュウ(酢と焼酎の混合 液)とタバコ(ニコチン)液ぐらい。中途半端なことは言いたくないし、かと言って彼らの切実な悩みを無視するのも。
 苦心の末、生みだした対処法は、有機農業の基本、土を良くすること。山に自然と生えている木々に病気が少ない様に、土を良くすれば、病気も減るはず。不 耕起栽培と敷草、ボカシを半年ぐらい継続すれば結果は違うはず。即効性のある解決策(農薬名)を期待していた面々からは、落胆の表情が読みとれたので、と りあえず、一区画、一畝だけでも試してみて、と念を押した。
 帰路に着く際、先の老人から、あなたに言われた方法を実践してみると言われた。そして、次回の来訪時には、畑を見てくれとも。
 土が良くなって、病気が少しでも減っていることを祈るが、次回訪れた時、一体どの様に呼ばれるのだろうか?“ウソつき”でないことを望むけれど、先生以 上の“何か”と呼ばれるのも青二才には辛い。

〈不耕起栽培、畝の敷草による被覆、絹さやとサニーレタスの同時栽培の様子〉

一時帰国について
 屋後 浩幸

 理事会で今後の活動についての話し合いに参加する為、又ビザ取得の為、一時日本に帰国しました。ビザは8月上旬に申請し、9月中には取得できる予定で す。ビザが取れ次第、インドネシアに再入国します。
 今年の1月からインドネシアで活動し問題は山積みですが、日本では得られないだろう経験や勉強ができ日々充実しています。あらためて、この活動にご理 解、ご協力して下さっている多くの方々に深く感謝致します。


********************** もどる  *********************