アジア農民共に生きる会会報

Association of Asian Farmers for Cooperative Living (AFCoL)

〜有機農業によってアジアの農民の自立に協力しよう 〜

発行:200月  第

ブラスタギの農場‐野菜と生活‐
矢澤佐太郎

 2004年1月17日より1月31日まで戸松さんに同行してブラスタギの農場にいってきました。旅の風景と協力活動の印象などをご報告します。

メダンの空 港からブラスタギ高原へ
 17日に成田を出発し、クアラルンプールに1泊して18日昼前にメダンに到着しました。熱帯に位置するメダンは湿気が高く、空港から一歩外にでるとズボ ンが汗でじっとりしてきます。途上国での生活が長かった私にはこのムットする暑さは懐かしく急に元気がでてきました。
 屋後君が出迎えに来てくれ、彼の元気な顔を見てまずは一安心。まずは昼食を摂ろうとインド料理屋で辛いカレーとヨーグルトを食べ、胃のほうにもスマトラ にきたことを伝えました。
バスは混雑するのでタクシーでブラスタギに向かったところ、山道を登りはじめてしばらくすると車がオーバーヒート。値切った安いタクシーだから仕方ないと あきらめ、運ちゃんが沢の水をくんでラジエーターに入れるのを祈りながら見ていました。なんとかなるものでしばらくするとエンジンがかかり暗くなる前に無 事にブラスタギの農場につきました。

草生栽培の 野菜がおもしろい
 試験場の一角に75アールの畑があります。長ネギ、サトイモ、ナス、トマト、カボチャ、カリフラワー、ニンジン、サヤエンドウ、ミツバ、サニーレタス、 リーキ、スイートコーン、ダイコン、ハクサイ、キャベツ、サツマイモ等いろいろ植え付けられていました。のびのびと育っていると云うより、頑張って生きて いる印象。子供に例えると、都会の健康優良児より日焼けした悪戯っ子の感じです。熱帯の高原は日差しが強いが涼しく、日本の温帯野菜がよく育ちます。しか し、やさいがよく育つ良い環境というのは虫や病気にとっても発生しやすいことです。雨期にはやさいの病気、乾期には害虫が恐ろしいほどに襲ってくることを 何回か経験したことがあります。ところが、やさいはそれほど害虫や病害が発生していませんでした。有機栽培をはじめると速効性の化学肥料を使わないで可溶 性の養分が少ないのと雑草と共生している草生栽培のために天敵が多くいるのかもしれません。人手が足りないために草生栽培になったと屋後君が説明していま すが大変興味あることでした。レタスとニンジン、サヤエンドウとトウモロコシなどの混植も現地の知恵でおもしろいものでした。地力をつけるためにトウモロ コシ、ギニアグラス、ヒエなどイネ科の緑肥作物をいろいろ試作していました。今後の地力向上のカギになる部分なのでこれからが楽しみです。

研修生と家 族のような生活
 試験場の宿舎に屋後君は寝泊りし、研修生とここで3食を共にします。私たちもここで一緒の生活がはじまりました。朝6時すぎ薄暗いうちにおきると、すで に研修生と屋後君が当番で用意した朝食があります。6時半から食事、打ち合わせ、7時から作業です。ちなみに食事の内容は3食ともご飯で小魚の日干しとニ ンニクの効いたやさい炒めが定番です。これが続くと日本から来たものには一寸きびしく感じます。夕食のあとは屋後君と研修生のミーティング。彼の人柄なの でしょう、とてもいい雰囲気で話し合っています(言葉がわからなくても雰囲気が伝わります)。夜もふけると、3人の研修生は歌がすきでギターをひきながら 一人がうたうと二人がハモリます。仕事熱心な戸松さんが明日の予定をメモしているのを横目でみながら、私はイッパイ飲み、彼らがうたうカロ族の叙情豊かな 歌に眠気を誘われました。
 
〈草生栽培によって虫の被害が少なくなり、栽培可能になったブロッコリー〉

農場の現状
戸松 正
ブラスタギに農場を開設して1年半が経過した。私達も弱小NGOであり、ないないずくしのスタートであった為、車や農業機械を一斉もたず活動してきた。現 地の農民も平均耕作面積が50a位でほとんどの農民は機械を持っていない。そんな彼らに適応する技術開発することが私達の役割だと考え、実践してきたこと が良い方向に向き始めている。
 少し詳しくいうと、日本で有機農業を行う場合、大量の堆肥を畑に入れる。しかし運搬手段のない私達や現地の農民には堆肥の材料を集め、発酵させ、堆肥を 畑に撒くことは大変な労力である。又、一作ずつ収穫すると再度畑を耕すことも容易ではない。しかも、雨の多いブラスタギでは高畝にしなければならない。こ んな大変な事から解放されて、農業を行えないかということを考えていると、不耕起の自然農法的な方法で栽培するようになった。
 一番最初に畑に緑肥(トウモロコシや稲・豆類)を混播する。それらが大きくなったところで刈り取り、畑に畝と通路を作る。その際鶏糞などを一緒に入れ、 土の中で堆肥作りをして一ヶ月程待つ。それが畑の中で発酵を終えた段階で作物を植える。その後は畑のまわりに植えてある緑肥を畝の上においていき、肥料の 流亡を防ぐと同時に徐々にその緑肥も堆肥化させるという方法である。その後の作付けは一度作った畝を何回も使い作物を作る。あとはほんの少しの堆肥と発酵 肥料を栄養分として畑全体ではなく極部に肥料を入れる。
 こんなやり方で今は20種類近い野菜が無農薬で作れるようになった。市場に出せる野菜も10種類以上になってきている。今後はこれらの野菜をもっと増や しながら質を高め、量を増やすという方向でいいような気がする。
私達の自立農場を作るということの最大の課題は生産物をいかに売るかということである。現在メダンには私達の野菜を出荷している小さな自然食品店が一つあ るだけで販路をどうするかということである。この販路が確立できれば農場の自立も可能になり、多くの研修生を自立農家として卒業させていく事ができる。今 年は栽培よりも販路作りに努力していく考えである。
自然農法を日本ではやっている人はほとんどいない。機械を導入し、大量の作物を作らなければ経営として成り立たないからである。又、この方法だと1農家あ たり50a程度しか耕作できないからでもある。しかし現地の農民は50aでぎりぎりの生活をしている。しかも農薬や肥料代も高価である。だから有機農産物 が少し高価に売れれば彼らにも充分可能な方法である。しかし今はそれが一番難しい点である。

 〈カボチャを定植した後の緑肥の敷きわら〉
収穫終了の頃緑肥は一部腐熟していて土は柔らかくふかふかしてくる。

海外協力について 
屋後 浩幸
 海外で生活していると、日本にいる時には気づかなかった日本の豊かさを改めて知る事ができます。インドネシアというフィルターを通してみると、日本の食 生 活の豊かさや日々その姿を変えていく自然の美しさが浮かび上がってきます。インドネシアにあるのは雨季と乾季の2つの季節だけです。1年中あまり変わらな い自然環境にその恵みである農作物にも変化はあまりありません。ただ、見方を変えると1年中作物が実り続けるインドネシアの豊かさがあります。働かなくと も食べられる、つまり生きていける。各民族の国民性の違いが、自然環境に起因していると痛感します。そして、その国民性の違いを知ることが海外協力におい ては、かなり重要な要素になっています。
 永遠に変わらないような錯覚を覚えるインドネシアの自然環境の中で生活していますが、ここでは着実に少しずつ変化が起きています。3月末には1年間研修 を 受けた研修生の1人デルマが独立する事になりました。私にとって初めての研修生の送り出しですが、今後彼女が有機農業で生活できるかどうかは分かりませ ん。独立後もできる限りの協力は行いますが、こちらの農場の現状も未だ満足の行くものではないので最大限の協力は難しそうです。ただ、彼女の場合は、家族 が畑を所有し、彼女の兄は栃木にあるアジア学院で1年間有機農業を学んだ経験があります。家族の協力の下、どのように彼女が農場を運営していくか、送り出 す側としても期待をしています。
 現在、2月に農場見学に訪れたメダンの大学生5人がインターンシップを利用して当農場で実習を行っています。新しく加わった研修生1人を含め、4人だっ た 人数が10人に増えました。仕事の割り振りや有機農業の説明講義等、私の行う仕事も増えましたが私自身も彼らから多くを学ぶ事ができています。
研修生の独立や新しい実習生を迎え、前回の会報で伊藤さんが述べておられた海外協力の意義という問いに私も改めて考えさせられます。現地側と日本側の海外 協力に対する捉え方の違い。現地の誰でもできるような技術の確立を行ってはいますが、現在の農場の経営収支を考慮すると厳しい現実と先行きの不透明さ。そ して、ふと自分はなぜここに居るのだろうとの想いを抱きます。研修生にとってこの場所が意義あるものであるのか。教育者としての自分はどうなのだろうか。 全ての答を私たち自身が導き出せるのではなく、現地側が示してくれるものが多いでしょう。もしかしたら、数年後、数十年後にそれらを知る事ができるのかも しれませんが。
 海外協力はどこか野菜作りに似ていると感じます。農家が幾ら努力してもその方法や環境がその作物に適していないと収穫まではできません。またその作物に 愛 情を注ぎすぎると、私たちの永続的な手助けが無いと育たないものになってしまうでしょう。そして、例え自らの力で花を咲かせ実をつけることができても、次 の世代にその命を引き継げない事もあるでしょう。ただ、私が帰農志塾で学んだように、研修生がここでの研修を終えた後、各自が進んでいく方向を考えその結 果、全てが有機農家にならなくとも良いと私個人は考えています。日本人が決めたレールに乗るだけではなく、自分たちでレールを築き進んで行く。’有機農業 を学んだ事による現地(農民)の自立‘。そんな、海外協力も良いのでは、と感じます。もしかしたら、日本人が想像できないような果実がインドネシアに生れ るかもしれませんし。


〈農場のメンバー:新しく入った研修生(左端)とデルマ(左側2番目)、屋後、ヘリ、サストラ〉

更なる有機農業
デルマ ドマニック
 外国人である日本人とブラスタギの農場で有機農業を勉強して約一年近く経ちます。この一年余りの間、科学的な農業知識や土作りの大切さを知りました。
 当初、私は化学物質を使わずに土壌状態を良くする事に疑問を持っていました。しかし、ここで有機農業を学び、化学物質を使用せずに実際に作物を育てる事 が 出来ました。私はそれらを使用せずに野菜を育てる事ができたことが、とてもうれしくまた自信を持つことが出来ました。インドネシアではまだ多くの農民が農 薬などを使用し、土は更に悪くなっています。そして、人々の健康にも悪影響を与えています。
インドネシアでは有機農業はまだ多く見られませんので、日本人がインドネシアで有機農業の普及活動をおこなっている事が、私にとってはうれしいです。一年 後には、有機農業はインドネシアでも普及していると、私は考えています。
 ここでの勉強を終えた後、私は実家に戻り有機農業を始めます。そこで、有機農業に関心を持っている人や家庭菜園を営んでいる人に、有機農業を教えようと 考 えています。インドネシアの社会、例えば現地の農民に、有機農業を広めていこうと思っています。
有機農業の持つ、社会的メリットはとても大きいと考えているからです。例をあげると、人々が抱えている病気はきっと食べ物に起因しているでしょう。私たち の食べ物は安全ですか?
その問いに自然に根ざした有機農業は答える事が出来るでしょう。私たちは全て神(自然)の一部ですから。

〈矢澤さんから土壌検定の指導を受けるウェスリー氏とトレーニングセンターのメンバー〉

農業トレーニングセンターとの付き合い
戸松 正
 1月17日から2月15日まで、矢澤副理事長と共に3週間活動してきた。農場での仕事も一区切りついた1月24日、1年振りに元の協力団体であった、 RDA(Rural Development  Action)の運営する農業トレーニングセンターを訪問した。以前は電気もなく、車を降りて40分以上歩かなければならなかった山道も今は電柱が立ち、 途中まで車で行けるようになった。
 久々の訪問にウェスリー氏が途中まで出迎えてくれ、再会の一時を楽しんだ。農場は私達が紹介したアジアコミュニティーセンターからの2回の助成金と彼の 手腕で見違えるようになっていた。たった一戸しかなかった事務所兼食堂兼宿舎でのザコ寝の生活であったが、研修棟や食堂、畜舎、倉庫なども建ち、建物でに ぎやかになっていた。現在、採卵鶏300羽、ブロイラー100羽、豚40頭飼っており、今年は鶏200羽と豚10頭を増やす計画である。とうもろこしなど の自給飼料を作り、自給用の米、養魚場、ミカンなどいろいろな果樹も植えられている。
 トレーニングセンターは有機農業の3ヶ月の研修コースを実施し、今まで50人の研修生を送り出している。
私達との交流は直接的な協力が終わったあとも少しずつ続いている。研修生やスタッフの相互交流を行い、3ヶ月の研修の終了時、毎回私達の農場に全員がやっ てくる。こちらからも研修生が行き、お世話になっている。又、私も日本からもっていった種をあげたり、今回は彼がフィリピンから入手した緑肥になる小灌木 を3〜4種類もらったりした。
 訪問から4日後ウェスリー氏が研修生と共にトレーニングセンターの土をもって我々の農場に来た。矢澤さんから土壌検定器の使い方を習い、研修生と共に土 壌検定を行ない、土壌の養分分析と改良方法などを教えた。私も農場を案内し、お互いに技術交換し、教えあう。そんな関係が今後も彼とは続いていくだろう。
 彼の農場はスマトラの消費地から遠く離れている。そんな山間地において畜産をベースとした経営と自給型循環農場の有機農業の一つの方向として着実に進ん でいる。

編集後記

 今回の渡航は矢澤副理事長に同行していただき、大きく一歩前進することができました。試験場とは1年半振りに協定書の見直しを行い、双方友好的にサイン しました。
猪突猛進の私と違い長年国際協力の場で仕事をされてきた矢澤さんの交渉の方法や協力の視点など学ぶ事が多々ありました。
 又、本年度段階的に3ヶ所の畑を借りられるようになりました。1ヶ所は非常に便利な宿舎前の一等地、1200u(野菜畑とコーヒー畑)と7000u(野 菜畑)、今年中に今までの2倍以上の面積になります。
 試験場からはコーヒーを抜いて使ってよいと言われましたが、コーヒーはコーヒーとして試作を続けることにしました。うまくいけば一部有機コーヒーを持ち 帰ることがあるかもしれません。

   〈新しく借りた宿舎前のコーヒー畑〉
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