ア ジア農民共に生きる会会報

Association of Asian Farmers for Cooperative Living (AFCoL)

〜 有機農業によってアジアの農民の自立に協力しよう〜

発行:200月  第

農場の将来展望
               戸松正
 1月14日、メダンの空港に着き3ヶ月振りに屋後君に会った。ブラスタギに着くまでの腹ごしらえの昼食時、彼から突然任期延長の話が出た。今まで3年で 帰国すると明言し続けており、この一年は後任探しに随分気を揉んでいた。残る一年で現地の人に任すか、後任探しを続けるかの選択の旅でもあった。しかし彼 の発言で一気に彼の任期はあと2年延びることになった。
 また第2農場を作りたいという要望も直ちに出された。その理由は国の試験場では将来インドネシア人に農場を移管した場合、運営がしにくくなるという考慮 である。我々と試験場との関係は非常にいいが、それは外国人であり、強い意志をもったNGOであるからであろう。今まで多くの資材面での要求や機械使用や ハウス建設など積極的に取り組むような提案があったがことごとく、我々の独自の考えで機械や多くの資材、資金を使わない方法を徹してきた。しかし将来イン ドネシア人が運営した場合、それが許容されにくいということを屋後君が痛感しているようだ。
 第2理由として従来から循環複合農業の一つとして養鶏を導入したいと考えているが、野菜でさえ盗まれる昨今、鶏の場合、大きなトラブルになりかねないと いう理由で鶏の飼育は諦めていた。しかし治安のいい場所を探すことによってどうしても鶏を飼いたいと考えていた。よって治安のいい場所ということが大きな 条件になる。
 第3の理由としてブラスタギの気象条件では作りにくい作物、ナス、ピーマン、トウガラシ、トマト、ジャガイモ等のナス科作物の作りやすい気象の場所を探 したい。これらの作物は現在の場所で2年間試作を続けてきたが収穫はほとんどできていない。平均気温19℃、雨量2600mmある当地では雨除け栽培や特 別な品種とめぐりあう以外方法はないように思われる。
 第4の条件としては農場の管理と収穫が容易にでき、且、自立農場として野菜の販売の為のデリバリー(配送業務)が容易なところということになる。即ち現 在のブラスタギから消費地メダンへの道筋にあるということ。
 これだけの条件を備えた所はそう簡単ではない。いくつかの候補が考えられる。農業技術協力としては第3を優先したいがこの条件を優先すれば他の条件に反 することも多くなる。よってゆるやかにこの条件を満たし、他の条件をも満たす場所を探す以外にない。
 結論を急ごう。メダンからブラスタギに行く途中、グロラカシ孤児院がある。園長、前園長2人共がアジア学院OBで以前から面識がある。グロラカシ孤児院 内に第2農場を作るということである。我々の考える大部分の条件を満たし、しかも農場からバスで30分の距離でデリバリーの中継地でもある。敷地が 33haあり、治外法権的な場所でもある。野菜栽培には少し雨が多いという若干の難点もあるが、ナスやトウガラシ等は既に孤児院で栽培されている。標高 700mでブラスタギの1300mと比べ600m程低く、平均温度3℃〜4℃程度の温度差が考えられる。雨と温度の点でトマトとジャガイモには問題が残る が他の作物はなんとか栽培できそうである。(日本では時期で選ぶが熱帯では標高差で作物を選ぶ。)
 今回試作として30〜40aをとりあえず借用し、試作することにした。
 将来展望としてグロラカシ孤児院には遊休農地がたくさんある。年間25000円程度で1haの土地の借用が可能だ。今後土地なし農民やその子弟を研修生 として受け入れ、施設内で独立させることも可能になる。インドネシアでは日本の産直のように、自分で車を持って野菜を配達することは彼らの資金面や能力か ら考えなかなか難しい点もある。近くに彼らを独立させることによって協同組合的な支援も可能になるだろう。
 他に未利用の水田もありブラスタギでできない米の自給も可能になる。マンゴスチンやマンゴーなどの熱帯果樹も栽培できる。野菜主体の農場から総合農場へ の可能性も含まれる。
 卒業生と一体化した‘有機の里作’りだ。夢はふくらみすぎる。一歩一歩前進したい。

〈第二農場予定地を見学する屋後とジュリス園長(ブラスタギでは困難なナスがすでに育っている)〉

会員の増加と車の購入    
              戸松正
 昨年まで農場の売上げは月に1〜2万円だった。それも理事の鈴鹿君に一部お願いして、ネギをマレーシアに輸出した額も含めてである。昨年後半からそれも なくなり、生産物の販売や処理に困っていた。
 しかし12月から1月にかけてメダンで会員が少しずつ増え始まり、月に3万円位の売上げになってきた。屋後君とパートナーのギンティン氏の二人が、3つ の大きなコンテナ(昔使った行李くらい)と、十数個のビニール袋を持ち、コンテナはバスの屋根の上へ、個々に分けられた袋は2人でかろうじて持てる量で、 バスによる配達はもう限界近くなってきている。 昨年暮れ、屋後君から車を買ってほしいと依頼があり、今回状況を把握して買うつもりで渡航した。日本と違 い車の購入も大変だ。以前から付き合いのある、信用できる華僑のインドネシア人に依頼した。実際に車を探してもらうと、車屋は彼の知人だが、こと商売やお 金のことになると信用はできないとも言う。そこで彼の自動車屋のメカニズム担当者を1人連れて行き、点検してもらうと同時に試乗してもらった。試乗の結 果、ハンドルが少し悪いので修理した方が良いと言う。2万円程度を追加し、購入することになった。三菱コルト、ディーゼルのワゴン車だ。トラックは税金が 年2回ある。また、途中でよく警察に止められ、小銭を請求されるらしい。10年経ったワゴン車、この暑いスマトラでクーラーなしで65万円以上もする。
 自動車保険のことを車屋で聞いて驚いた。車両保険はあるが対人や対物保険はないという。人の命より車の方が大切なのだろうか。事実、物価指数や人件費な どから考え日本円に換算すると500万円位の買い物になるから驚きだ。ちょっといい車になると現地価格でゆうに1000万円を越す。それだけ貧富の差があ るということだ。
 私達も初めての大きな出費で、大変ではあるが、今後の会員増を見込んで無理をすることになった。月に10万円の売上げが得られれば、大きな建設費や今回 の車の購入、日本人給与を除き、経費と売上げがプラスマイナスゼロになる。いやその時には若干経費も上がるので15万円位必要になるかもしれない。しか し、今年中になんとか10万円を目標とし、来年には利益が出るようにしたい。そうすることによって、我々からインドネシア人による農場の自立運営が可能に なる。 屋後君の任期中に、そこまでもっていってもらいたいと考えている。

〈バスで出荷する野菜(コンテナ3つと10以上のビニール)〉


  〈バスの屋根に載せるコンテナ入り野菜〉

日本について
屋後浩幸
海外で生活をすると、自分は「日本人」だ!と痛感し、様々な角度から自分の国、日本を再認識できます。
車や電気製品などのハード面はMade in Japanが世界中に溢れていて、インドネシアの街中でトヨタの車やソニーの製品を見ても、あるなぁと言う程度です。しかし、驚いたのはソフト面でも日本 の文化が広く浸透している事です。本屋の漫画コーナーには何十種類もの日本の漫画が翻訳されています。そこはいつ行っても立ち読みをしているインドネシア 人で溢れています。漫画は既に十数年前から翻訳されているそうです。こちらで売られているTシャツや食べ物、日用品には意味不明な日本語や日本アニメの キャラクターがヘタクソにコピーされ、アクセントとして使用されています。つい、なんやぁそれ、と突っ込みたくなります。また、バスで乗り合わせたおばさ んに「おしん」は今、何をしているか尋ねられる事や、五輪真弓の「心の友」(インドネシアに来てそんな歌があることを初めて知りました)を歌ってくれ、最 近インドネシアで放送が始まり、人気番組の「風雲たけし城」はインドネシア人でも参加できるのか?など、私より日本のことをよく知っているなぁと感心しま す。
インドネシアは太平洋戦争時、日本からの3年半の植民地時代を経験しています。しかし、インドネシア人から今まで排日感情は感じていません。年配の人から 日本はインドネシアの独立を助けてくれた、と感謝される事もありました。オランダの植民地支配は250年程続いたそうですが、オランダ人に対しても排斥意 識を持っているとは感じません。楽観主義や‘何とかなるだろ’というインドネシア人の国民性が強く感じられます。
ブラスタギの活動に話しを移しますと、去年の暮れから直接野菜を購入される消費者の数が20軒ほどに急に増えました。一番の要因は、各個人の口コミで広 がったことです。畑に来られた事の無い人もいますし、私の拙いインドネシア語での不十分な説明だけで、価格の高く見た目の悪い野菜を購入されています。 ‘日本人のプロジェクト’というだけで有機野菜と信用されています。そんなに簡単に信用して良いのかなぁ、と私の方が心配します。もちろん、私たちは有機 農法で野菜を育てていますが。
日本人は働き者で礼儀正しい=信用できる、というのがインドネシア人の日本人観のように感じます。(他の国へ行った際も諸外国の人からそのような日本人観 を頻繁に感じました)これは、私の努力で得られたものではなく日本の先人達が築いてこられた行動の結果でしょう。日本の誇るべきものだし、私たちもそれを 受け継いでいくべきだと思います。
日本の学校教育では、日本は侵略国家だったとか日本の歴史は支配者層の搾取の時代だ、と不の一面がかなり強調されて教育を受けました。その為か、多くの日 本人が悲観主義者(マイナス思考)であるように感じます。
インドネシア人の多くはとてもプラス思考です。多くの日本人が自分自身や自分の国をプラスの側からも考察できたなら日本は更によくなるのではないでしょう か?

きれいになった農場
戸松正
 今私達は、試験場から職員宿舎を借りて共同生活をしている。食事当番は真っ暗い朝5時から起きて6人分の食事を作り、6時過ぎに起きてくる全 員の食事を作っている。もちろん、辛く塩っぱいインドネシア料理だ。定番は、ちりめんジャコ風のものすごく塩辛い小魚と野菜料理、これも塩っぱ過ぎること がしょっちゅうあり、閉口する。
 一般的なインドネシア人の食生活は大量の白米、塩辛い小魚、これだけで終わることもよくある。3年前の農村調査の折、健康(寿命)と食生活を知りたかっ た為、1週間の食事を聞いたことがある。驚いたことに3食とも、大量の飯と小魚、よくて野草や筍、木になった大粒の苦い豆を食べる程度である。(ちなみに この豆は、最初苦くて食べられないが、いつの間にかおいしくなり、病みつきにもなる。)
 そんな食生活に比べると、ここブラスタギの農場は野菜が豊富にあり、豊かだ。
 食事のことはこれ位にして、今回驚いたことは農場や家、家の周囲が非常にきれいになったことだ。前回訪問まで毎回行く度に、仕事終了後、家の周りをきれ いにするよう口をすっぱくして言ってきた。それでもビニールは投げっぱなし、ゴミは捨てっぱなしで我慢ならなかった。しかし、今回はどうしたことだろう。 非常にきれいになっている。花も飾られている。私に気遣い渡航するから飾ったのかなとも思ったが、少し枯れた部分もありそうではないようだ。夕方になると 食事当番以外の全員で家の中、外、時には溝まで掃除している。それもただ単に掃いたり拭いたりしているのではない。力いっぱいモップで何回もやっている。 正月でもなし、そんなにまでしなくてもいいと思いながらも、彼らの姿からすがすがしさを感じる。これも彼らが話し合い自発的に始めたらしい。
 農場も昨年の6月には汚かった。しかし今では展示圃場の様になりつつあり、試験場からも全員よくやっていると、場長や副場長から言われるようになった。
 今までのインドネシア人のポイ捨ての習慣が農場からなくなりつつある。まだまだ彼らの行く末は長いが、徐々に良くなりつつある。
 屋後君の努力に乾杯!!

〈現地トウモロコシの積極的利用による緑肥栽培(刈取り後、通路のマルチに)〉

スマトラ沖大地震に対してのお願い 
          戸松正

 今回は通常の仕事の他、スマトラ沖地震に対しても何か行動を起こさなければという事が脳裏から離れなかった。この地震は皆さんも御承知のように、地球規 模 の大地震になった。その被害ははるか遠く、アフリカにまでおよび、地球を3回以上まわったとも聞く。当初タイのプーケットやスリランカ等外国の被害の情報 ばかりで、肝心のインドネシアの情報はほとんど入ってこなかった。数日後からインドネシアの情報が少しずつ入り始めた。その理由はアチェ州が特別な場所で あり、特殊な外国人、否、特別関係のあるインドネシア人以外あまりかかわりを持たないからである。アチェが以前からインドネシアからの独立を求めており、 独立闘争をしている特殊性からでもある。また、治安も良くないという理由で、私自身も行き来を避けてきた場所でもあった。
 クアラルンプールからスマトラに向かう。飛行機が低空飛行になり始めた時、大地震のあったアチェの町並みが見える可能性もあると思い、上空から下を覗 く。 しかし、それらしいものは何も見えず、いつもの風景で着陸した。だが飛行場はいつもとまったく様子が異なり、軍のヘリコプターが7〜8機あり、滑走路でな い草原には何十ものテントが張られている。どこの国の軍用機か分からないが、何機もの軍用機が停着している。機内にはマスコミ関係と思われるヨーロッパの カメラマンが、機窓からその様子を何枚もカメラに写しこんでいる。イミグレーションには、いつもより外国人が多い。グリーンのフランスの制服を着た救助隊 員も含まれていた。現地で何人かにアチェの情報を聞いたが、正確な情報は日本にいる時より少ない。私が体験したのはただ一つ、メダンでは高級、中級ホテル が一切予約できなかったということである。外国から来る救助隊や軍人の為、すべてのホテルがフロアーごと、ホテルごとに予約されていたということであろ う。よく泊まるダナウトバホテルのレストランは制服を着た外国人オンリーになっていた。
 大地震でもあり、直接的援助や協力ももちろん大切だが、我々には何もできない。このような大惨事のアチェに、私個人として、帰農志塾として、またアジア 農 民共に生きる会として何ができるかを考え続けた旅でもあった。
 一般的に発展途上国において食糧不足や戦争による飢餓等の際、国際協力的な資金の流れは、現地の人達に届く割合が相当低いと聞く。その理由は現地の権力 者 や役人、警察が自分の懐に入れる場合が多いからだ。現地の本当に困っている人に届く間にかなりのロスがあり、私腹を肥やす人も多いと言われている。そのよ うなことがなく、大部分が現地の人に直接届く方法を屋後君と相談し、今回は個人的にも彼が親しくしているSintesaという団体を通して協力していきた いと考えるに至った。屋後君の文章も読み、御賛同いただければ幸いです。
 何卒宜しくお願い致します。
(現地の労働者の賃金は1日200〜300円です。ご協力は100円でも200円でも彼らには役立ちます。下記の口座に振り込みいただければ幸いです。)
郵便振替 口座番号 00150−2−90689     「アジア農民共に生きる会」

 新年度でもあり、会報発送時会費の納入のお願いもあって心苦しい状況ですが、何卒よろしくお願い致します。

地震を通して
       屋後浩幸

 12月26日 朝。日曜日なので目覚ましをセットせずに遅くまで寝ていました。ふと、揺れを感じて目を覚ましました。結構長い揺れが収まってから起き て、 のんびりとした休日を過ごしていました。
夕方メールを見ると、親や友人からインドネシアで地震があり、私の安否を気遣うメールが入っていました。宿舎にはテレビは無いので、ラジオで確認しても特 にそれらしいニュースも無く、インターネットでマレーシアやスリランカ、インドで被害が出ている事を知りました。その時は被害がここまで大きくなるとは 思ってもいませんでした。
 活動地のブラスタギや近郊の大都市メダンは特に被害はありませんでした。ただ、友人宅でテレビを観るとアチェ州の被害映像が流れていました。おそらく日 本 でもその映像の一部は流れたと思いますが、こちらで流れている映像は衝撃的でした。そこらじゅうに倒れている死体や体の一部がなくなっている人のアップ、 流血している人の映像など目を背けずにはいられませんでした。10年前の阪神淡路大震災のテレビ映像では、そのような映像は流れず、死者何人、負傷者何人 という数字で被害の大きさを伝えていました。
 日本とインドネシアのメディアの違い。インドネシア人に聞くと、以前スハルト政権下で多くの情報操作が行われてスハルト一家に多額の資産が渡ったそうで す。その経緯から、死体や流血の映像がないと誰も地震の被害を信用しない、と言います。
多くの情報が様々な媒体を通して入手できる現在、どの情報が事実をより正確に伝えているか判断する事はとても難しくなっています。また個々人の物事の捉え 方、判断方法によっても一つの情報は異なって解釈されます。これからは自己判断、自己責任がより重要な時代になってくると思います。
 さて、今回1月に戸松さんがブラスタギに来られ、アジア農民共に生きる会として何か被災地支援はできないかとの話がありました。条件は、草の根運動的な こと。
 正直かなり難しい命題です。地図で見るとブラスタギと被災地アチェは近いように見えますが、飛行機を使っても一時間ほどかかり、一外国人である私には現 場に行っても何もできません。私個人なら自己判断で寄付したり、諸団体に物資を渡したりできます。しかし、アジア農民共に生きる会のスタッフとして、皆さ んからお金や物資をお預かりしてそれを現地でより有効に活用してくれるだろう団体やNGOに渡すことは難しいのです。他人様の物を預かる以上、容易に判断 はできません。また、被災地支援に便乗した詐欺が多発しているニュースも見聞します。
 私たちに関係のある団体にSintesa(シンテーサ)というイスラム教系のNGOがメダンにあります。1990年代後半より、普段は農民への有機米栽 培指導や母子家庭への支援を行っている団体です。地震後彼らはアチェ現地の17のNGOと協力して復興支援活動を行っています。メインは物資の輸送や現地 農民の支援です。
 もし、日本からも援助があるならば、農民へ、アチェのNGOやSintesaを通し、渡す事も可能です。Sintesa自体もメダンでインドネシア国内 から支援物資を集め、彼らのわずかな資金を使い、実際にスタッフが現場に行き、支援物資を送っています。
 私たちとの関係はスタッフが私たちの野菜を毎週食べ、家に呼ばれたりブラスタギの農場に遊びに来られたりと、私個人は彼らと良い関係なので他の団体より も信用はできます。
 会員の皆様の中で、何か支援物資や寄付をと考えておられる方がおられましたら、アジア農民共に生きる会へご連絡ください。上述の通り、難しい点はありま すが、ご援助頂きましたものを必ずSintesaへお渡しします。またお預かりしたものが現地でどのように活用されたかについては、Sintesaに尋ね ることも可能です。何卒よろしくお願いいたします。

〈パートナーのギンティン氏、研修生達と(中央ギンティン氏、その右屋後、3人の研修生)〉
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