新鮮 あわび さざえ 一品料理 カラオケDAM

 

 小 春

 

  南房総市白浜町 最南端の居酒屋 小春 

   

   あわび、さざえなど、

    海の幸を日本一安く食べられる店!   

  

    海岸沿い(南国ホテル下) 貸切でカラオケ!

    海からゼロ分 野島崎灯台から徒歩5分        

 
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小春の

白浜観光案内

 (大人気の白浜方言紹介)

 

 

白浜飲食店組合公式HP

 

 

千葉県

最南端ソング

「白浜」

 

 


 

野島崎灯台で

ランチならココ!

 

 

 

 小春の観光案内 

 

    みんなで ふるさとPR隊となって、すばらしい風景や民話、

自慢の特産品など

ふるさとの魅力を おもてなしの心で伝えましょう

 

☆ 「おもてなしの心」を大切に

☆ 笑顔のあいさつが一番大事  声かけを心がけましょう 

        元気な声で「こんにちは!」

☆ 専門的な説明よりも自分なりの言葉、 やさしい言葉で紹介  

   あまり形にとらわれず 各自の個性な案内が喜ばれるんじゃないかな    

   たとえば 途中目にする物の簡単な説明 畑作業の事 

   山や庭の樹木の名前  足元の草花の話  海の話  海女の話 

   白浜での生活話など  あなたの得意分野は?     

☆ 質問に対して わからない事柄は    

  「勉強しておきますのでぜひまたお越し下さい」

☆ 理解していること」と「それを伝えること」はまた別物かもね。  

                    皆さんに楽しんでもらえるよう精進しましょう 

 

 

 

 まずは!「白浜ことば」

         

あじして?(What? Why? )                               

せなあ (長男) 

くっちゃべる (おしゃべり)

あじょう (Haw?)              

あんーが (打ち消しの意 )

おいねー(いけない) おいねーなあ(いけないねー、大変だったねー)

とば(病気)

あじょうにも かじょうにも (terribie state どうにもこうにも ) 

なぐろう(波)

どうねーた(腹いっぱい)

あんだしったん (I don’t know )      

ちょーす (だます) ちょーされた(だまされた) ちょーされんな(だまされんなよ!)

なあなる (なくなる)

あんだって?(What do you say)

やろっこ様 (男の子、息子)       

かー! (簡単詞、ちぇ!ええっ! )

あに?( What? )         

いんべーよ (行きましょうよ)*同意語:やーべさ

ちょんがー (独身の人)

いっしょくた (mix)

いっちょまーり (ひとまわり、散歩)

おっさ!  (yes!) 

まんで まんで (まるで!それはそれは!)

おっぺす (push )

やしやし (一生懸命、せっせと )      

キタキタ (ぐちゃぐちゃ、ひどく)

かーちゃーぺーちゃ(ぐちゃぐちゃ)

かっちゃくる (fast)    

でーなー (またねー )

でーよー (さよならー)

がら ( by mistake )

まっと (more)         

ずねえ (big)

けえ (貝、主にあわびのこと)

てっぱつ (big)

やあぶ (walk)

やんども (men、 they)            

ゆうら (How much )

ゆうつ (How many)        

まっち (festival )

めえる (can see )

わんだら( Hey you )

ちょうどいいや!(ちぇ!なんてこった!)*皮肉を込めて使う

   

                 白浜語講座 応用編 初心者コース 

ある午後の会話

    「やんども うんならかして まっちに行っターよ

  おめえもやあべさ」

   「行きてーけんよー あじょうにもかじょうにも(興奮気味で)

      おえねーやーでよー おらが せなあがとばでよー」

 「そりゃー おえねーなー 」

  「おめえらが やろっこ様はチョンガーかよ」

    「おおさ そーだーよー おえねえこったあよー」

  「今年はけえがよう たけえったから いっぺえ稼いだぺーよ」

   「あーんが ゆうらにもなんねえったーよ」

 「オレオレ詐欺にチョーされんなあよう おめえ」

   「がら くっちゃべってて おそうなったあよ

   いっちょまーりしてけえるべえ   でえよー!」

 「でえなー!」

                   上級者コース  

 

 (午前中)  「 いかねえんかよー!」 

 (おはよう!今日は漁に出ないのですか?)                

 (午後)   「 いったんかあよー! 」 

 (こんにちは!今日は漁に出ましたか?

 

*漁師でない場合は、その人の趣味 山 釣り パチンコ、その他、に行ったのか?

  という意味になるみたい 

                 

                   ヒゲぱぱの白浜語録

 

  「 おえ!今日はなぐろうがあんなあー 浜はシケだあなあ」 

  (今日は波があるから 潜りにいけないよ)

 

 「今日は底をやってんどー 」(潜りの情報交換)

  (海の底にも 変化が見られるから 明日は時化かも、、)

 

  「おらあ はあ のうじがねえなったあよ」

    ( 私は根性がなくなったみたいだよ)

 

  「うめえうめえって食ったら ちょうねえたあ」

   (美味しいおいしと食べたら腹いっぱいになったよ)

 

 

 小春の白浜名所、観光案内

 

  横渚区(よこすか) の西春法師入定(にゅうじょう)塚  めら星

 真冬の夜 真南の水平線すれすれに

赤く光る星(カノーブス)を見ることができます。 

布良あたりが一番みえやすく布良星ともいわれます。

この星にあるいいつたえです。

白浜の青木の生まれの武田長治は、海上を歩いたりして

人々を驚かせたという話があります。

19歳の時、仏門に入り、名を西春と改め四国行脚 高野山修行

奥州修行を終え29歳で帰郷。

はやり病や天候不良による不作続きを嘆き、31歳で木食300日の修行を終え

地下に造った石室にこもりました。

「鉦(しょう)の音が聞こえなくなったら 3年後に掘り起こして 安置してくれ」

と言い置きましたが 人々は仏に触れる事を恐れて石室を埋め戻し

そこに西春法師の塚を建てました。

西春法師の魂は固体を離れ、赤い星になったといいます。

沖に赤い星が見える時は不吉なことの前ぶれか、嵐の前ぶれといわれ、

漁師は凪でも船を出しません。

和名では 入道星 めら星 おしょう星と呼ばれます。

天文学名はカノーブスといいます。

今でも 毎年命日には市が開かれ、お参りの花が絶えません。

白浜にはもう一箇所、原地区に、にゅうじょう塚があります。

にゅうじょうとは 修行のひとつで 生きながら仏となれば

先の世に生まれ変わって 阿弥陀様と共に皆を救えるという教えだそうです。

こんな小さい町に2人のにゅうじょう様、ありがたいことでございます。

                       

 

 

 

        青木区  じょうやま

地元の方に聞いても 「城跡なんか無いよ あ〜もねえよ」といいますが

室町時代の城とは 天守閣のあるお城とは ずいぶん違うようです。

その頃の城は映画でみる砦みたいな物らしいです。

塀 門 石垣 切り割りすべてを含めてその土地そのものを城と指したそうです。

ここの城の広さは 東西1キロ 南北500メートル。

房総においての その頃の城としては最大級ということです。

東 西 北に3区分され 東と西では作り方が違うのが特徴ということです。

やぐら台は西に3箇所にありました。海上交通の要所として大事な役割があったようです。

    原区 杖珠院でのガイド

どうぞ楽な姿勢で お耳だけ5分ほどお貸し下さい。

あとで耳をそろえて 必ずお返しいたしますのでよろしくお願いします。

ここは里見氏とともに 歴史を見守ってきた、

曹洞宗の寺院 杖珠院じょうじゅいん)です。

室町時代中ごろ (中央の歴史だと 室町6代頃 悪妻で名高い 日野富子の時代かな)

里見氏初代義実(よしざね)が伊豆の大仁から、えらいお坊様を招き開山した、

曹洞宗の寺院です。本尊は 延命地蔵菩薩です。

室町時代からのお寺ですが、多くの物が元禄16年の大地震で失われてしまいました。

今残っている古文書類は、その後 義実の供養塔を建てた

里見家ゆかりの住職が、集めたものです。

地震の震源地は ここ野島崎で マグニチュード8. 1に相当する地震だったそうです。

そのときに島だった野島崎は 地続きになったそうです。

その大地震のあった元禄16年といえば

皆様よくご存知の赤穂浪士47人が切腹した年です。

(小春は年表を見比べるのが好きなんです(笑) )

被害の大きかった江戸では 「47士のたたりだ」などと噂されたそうです。

 

本堂の中には 里見記録や 前期里見家の4人の木像などがあります。

里見氏は前期里見 後期里見と分けられて語られますが

それにはわけがあります 4代となるべき義豊は8歳の時、

父を亡くしましたので叔父の実堯(さねたか)が後見役となりました。

しかし、義豊が成長し、時節が到来してもおじは国を譲らず

ついに義豊はおじの居城を攻め、おじを自害へとおいこみました。

翌年、従兄弟に当たる義堯(よしたか)は、父の仇である義豊を攻め、

勝利しました 義豊は自害して果てました。

決戦場となったのが(富浦町の) 犬掛古戦場です。  

本家が負けて 分家が家督を継ぐことになったのです。

そのため4代義豊までを前期里見家 それ以後を後期里見家とされて

語られております。

里見家は 戦国時代を乗り越えて 徳川の大名として、大きく花開くかのように見えました 

徳川二代将軍 秀忠の前で そのひと文字をいただき

元服式をあげた忠義でしたが それから わずか十数年で改易とされます。

(改易 武士の身分を剥奪(はくだつ)し、領地・家屋敷などを没収)

家老をつとめていた大久保(ただちか)が

大坂の豊臣秀頼に内通しているとつげぐちされ、

家康の不興を買い 失脚、その孫娘を嫁とする見忠義は

重陽の節句のお祝いを述べるため 

江戸に参上したにもかかわらず、登城を差し止められた上に

改易を宣告されたということです(9万二千石)

その後、鳥取に流され4千石とされ まもなくその4千石もとりあげられてしまい

忠義は31歳の短い生涯を閉じました。

忠義が死去した時、8人の側近が殉死し 忠義とともに葬られ

8人の賢い武士「八賢士」とたたえられたといいます。

 

里見家の不条理な改易を哀れんで のちにあの有名な 皆様もよくご存知の

{南総里見八犬伝}が 滝沢馬琴によって執筆されました。

そのモデルとなったのが 里見義実 この白浜の里見家です。

先ほど 皆様が登った山は じょうやまといいます。

義実が安房に入部してはじめての城を構えた場所です  

伏姫のモデルといわれる種姫は里見氏6代の姫で

夫を亡くしてから白浜で尼寺を守っておりました。

今日歩かれた途中にその碑が建てられています。

白浜は八犬伝のふるさと。ここは発祥の地なんです。

どこかで里見八犬伝の事を見たり 聞いたりしましたら

じょう山やここ杖珠院や白浜のこと思い出していただきたいと思います

白浜には まだまだいろいろなお逸話がございます。

また お寺の境内でなければ、お荷物にならないお土産に

白浜音頭や地元民謡の安房節など、お聞かせしたかったのですが、

またのお越しをお待ちしております。

 

ご清聴ありがとうございました!おみみをお返しいたします。                    

 

   ダコタ号の遭難 と白浜小学校と早川雪洲       

明治40年3月3日。白浜沖でアメリカの商船 ダコタ号が遭難しました

当時の白浜村長の指揮で 十隻(せき)以上の漁船が救助に向い 

大嵐の中 乗客船員347名は全員 無事救助されました。

船体は真っ二つに割れ、沈没したそうです 後日 その礼金が送られ

 明治42年当時全国一といわれた、すばらしい白浜の学校が(青木区)

新築されました(今の校舎とはちがいます)

 

ご存知でしょうか 日本人初のハリウッドスター、早川雪洲は南房総市千倉町の

出身です。英語が堪能だった彼は、通訳をかって出て、そのことが縁で

アメリカに渡り、労苦の末スターの座を獲得した ということです           

 

 

       (青木区 )白浜が生んだ偉人 歯車博士と呼ばれる

成瀬政男をご存知でしょうか その歯車の理論は トヨタ自動車 国産1号車に

応用されました   

小学校の敷地内に仮住まいでしたが 学校がダコタ号の礼金で 

新築されることになったため 

住職のいなかった 福寿院の離れに住むようになったそうです 9人兄弟だそうです

館山の安房中学ま山を越えて32キロ 徒歩で片道4時間 無遅刻 無欠席 

二宮尊徳のように 歩く時間を無駄にせず勉強したそうです  「成瀬君を 山の中の

代用教員で終わらせたくない」との恩師の好意で仙台高等工業科に入学

東北大学に学び ドイツ、イギリス、アメリカでも研究を続け、母校の東北大で

教授となります。 

成瀬博士の歯車物語「心の灯台」(林太郎著)という本がありますのでぜひ

読んでみて下さい                            

 

  青木区      青根原神社の前の成義の碑

里見家2代目当主とされてる 里見 成義(さとみ しげよし又は義成(よししげ)

ともいわれます方の 墓があった場所である という石碑です歴史上では実在したとの

裏づけが取れないため、後世になって 何かの都合上 加えられた架空の人物とする

説もあります青根原神社は 青木区に3つあった神社を統合した神社ですこのあたりに

里見氏の館があったといわれております

下沢区には 八犬伝の伏姫のモデルとなったといわれる 里見家の姫様 

種姫(たねひめ)の石碑があります             

 

    青木観音堂にて

ここには 十一面観音が祭られています霊験あらたかで 江戸時代には近隣諸国からも

多くの方がお参りに来られたそうです 観音様は その深い慈悲により 一切の苦しみを

抜き去り 功徳(くどく)を施す菩薩である とされ女神のような容姿に造られたものが多い

ようです 目に入るすべての物 耳に入るすべての物を もらさず汲み取り 功徳を施して

くださいます お参りしてから出発しましょう

又室町時代後期に 奉納されたびんずる尊者 おびんずる様が祀られてます

里見民部大輔(さとみのみんぶたいふ)という身分の方が 室町時代後期に

奉納されたという びんずる尊者像がこの観音堂に祀られ 地元ではおびんずるさまと

呼ばれ親しまれております おびんずるさまは お釈迦さまのお弟子の一人で、

今から2500前 お釈迦様が80歳で生涯を 閉じられたとき枕辺にいた 

16人の弟子のお一人で 神通力にすぐれていたそうです。

 

 俗に「なでぼとけ」とも言われ、自分の身体のわるい所と おなじ所を撫でると、

よくなるといわれます 長野の善光寺のおびんずる様なども あちこちすりへっておられますよね 

     市指定・有形文化財です 39.8センチの木造です                            

 

     青木区     庚申塚(こうしんづか)について

江戸時代の末期に 一般民衆にはやった いわば新興宗教です60日に一度 

めぐってくる庚申(こうしん)の夜に 人の体の中に住む さんしの虫というものが眠った人の体から

出てきて 閻魔大王にその人のやってきた行いを一部始終 つげぐちするというのです 

その結果 その人の寿命がきめられるといわれ その夜はみんな眠らずにすごしたそうです

またその夜に できたと思われる子は 大泥棒になるといわれ 男衆は一箇所に集められ 

朝まで帰してもらえなかったそうです   

     正岡子規と 長尾川のめがね橋のこと     

{房総旅行から、明治24年 4月2日に真っ黒になって帰った子規は、

どなた様か?前向きかうしろ向きかと問われた}子規は

隠れ蓑(かくれみの)紀行と銘うった蓑、笠着けての房総旅行で、

ずいぶん陽にやけてお帰りになった、みたいです。

長尾川のめがね橋が完成したのが 明治21年です。

完成したばかりのめがね橋を、24歳の子規が蓑(みの)笠つけて

渡る姿を思い浮かべて下さい(笑?) 

3月25日から4月2日までの8泊9日の旅でした。

     菜の花の中に道あり一軒屋  

3月31日 野島崎に憩う一望涯なし( 隠蓑(かくれみの)日記より )

めがね橋の工事費は 399円40銭(村民の寄付)

地元の大工と石工による工事で、石は海岸のみずるめの石を使ったそうです。

大正6年の長尾川の大洪水,大正12年の関東大震災にも耐えた頑丈な橋です。

戦時中は戦車が通ったという記録も残っています。

石積み工法の三連のめがね橋は、全国的にも珍しいものだそうです。

お時間がございましたらお訪ねくださいませ       

 (平成元年、県の有形文化財に指定されました)         

 

     女流作家 林芙美子と白浜

 今はスーパーとなってますが、岩目の港、と呼ばれるその場所に、

岩目館という旅館がありました。 芙美子さんはそこに長く滞在し、

お帳場にも親しく出入りしてたときます。ある時は、房州独特の古い民謡を

聴きたいと 館山の清元の師匠時丸さんを呼んで

「安房節」を聞き、大変感激したそうです。(皆様にもお聞かせしたい!

昭和26年3月に発行した「房州 白浜海岸」という紀行文の中で、長尾川のめがね橋のことを

「シナ風なめがね橋」などと描写してます    

        紀行文の断片です    

 「昭和26年1月 きんせんかの畑も 花盛りだし    

 菜の花はもうせんを敷いたみたいだし、、、途中略、     

すごく風がうなり始めてきた 西風がでた      

 白浜は この西風が名物だそうだ、燈台が息をしている」

 

そうなんですよー! 冬の西風 風速20メートル以上はありそうな 

吹き出したら3日3晩は吹く白浜名物!(あなたなどは吹き飛ばされないようにね) 

冬の西風を体験しにぜひまたお越し下さい  お待ちしております

 

   もうひとつ坂の上の時計屋さんの前での文をご紹介いたします      

  白浜の町は 細長い町だ        

  広い海に向かって 時計屋がある      

  陳列ガラスに 海が映っている       

  時計が 貝殻のように白い        

  ルビーの指輪に サファイヤのピン        

  夜光時計に 水中眼鏡        

  朝の海が硝子(ガラス)に反射している        

  ちいさい時計屋だが 海を向こうにたいした舞台だ                   

 

              南総里見八犬伝 あらすじ

史実とは違いますが 里見家をモデルに書かれた物語りです南総里見八犬伝は、

江戸時代の文豪 滝沢馬琴が28年もの年月をかけて著した長編小説です

戦国時代に 安房の地を活躍の拠点にした房総里見氏の歴史を題材にしています

物語は、結城の戦いに敗れた里見義実(よしざね)が、安房へ落ち延びる場面から

はじまります。

やがて安房国滝田の城主になった義実は、妖艶で奇術を使う珠梓(たまずさ)

を妻とする隣国の西景連(かげつら)の攻撃にあい 

落城寸前に 愛犬八房(やつふさ  ぶどうの房のような模様があった犬)に敵将の

首を取ってきたら姫をやろうといいました みごと 敵将の首を取ってきた八房は

伏姫(ふせひめ)を連れて富山の洞窟にこもりました。  

 姫を取り戻しに来た金碗大輔(かなまりだいすけ)は、

鉄砲で八房を撃ち殺します玉梓(たまずさ)の怨霊により 懐妊したと思わされた伏姫は、

身の純潔を証するため、大輔と父義実が見守るなか、自害してしまいました。

このとき、伏姫が幼い頃に 役の行者(えんのぎょうじゃ)から授かった護身の数珠の

八つの玉が飛び散りました。 この玉が八方へ飛んで、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の

玉を持って生まれた八犬士が登場して その後苦難にあう里見家のために力を合わせる

物語です

 

   八の珠 と八剣士

  仁  慈しみ 思いやり  犬江新兵衛

  義  道理 人間として行うべき筋道 犬川荘助

  礼  きまりに従うこと 敬うこと    犬村大角

  智  是非を判断する 賢い      犬坂毛野

  忠  臣下として真心を尽くすこと  犬山道節

  信  欺かないこと 言を違えぬこと  犬飼現八

  孝  父母によく仕えること      犬塚信乃

  悌  年長者に仕えて柔順なこと  犬田小文吾  

         

 

 野島崎灯台をご紹介

 明治2年、フランス人ウェルニーによって設計され、造られました。

高さは約29メートル。アメリカ イギリス フランスオランダとの、4カ国江戸条約によって

建設を約束された、全国8ヶ所の灯台のうちのひとつです。一番始めに灯がともったのが

観音崎の灯台で、ここは二番目に灯をともしました。関東大震災時には半分から

崩壊しましたが大正14年に再建されました。ここ野島崎が房総半島の最南端になります。

岬の先に最南端の碑や、朝日と夕日が素敵に見えるベンチなどがあります。ひと巡りできる

遊歩道もありますので(ゆっくりで20分)お時間がございましたら どうぞお出かけ

下さいませ。 

 (灯台見学 時間 8:50〜16:00 大人150円 小20円)

 

          南総里見八犬伝について

江戸時代後期 滝沢馬琴によって書かれた長編小説です  途中目が不自由となり 

孫娘に書き取りをさせ その完成までに 28年かけて完結した大作です   

 理不尽な理由で改易された里見家への同情の思いが 

その頃の民衆にあったのでしょう    大ブレイクしました八犬伝の世界と 

史実が混同されていますが   すばらしい物語を残してくれたことに感謝です

 昭和30年代 南総里見八犬伝は 東千代介 中村銀之助などの主演で

 日本中で大ブームを巻き起こしました    また角川映画では 

薬師丸ひろこさんが主演の八犬伝が上演されました NHKの人形劇でも

放映されました

八犬伝を思い出しながら わが町に残る 里見家の足跡 じょうやまや 杖珠院 

下立松原神社などをお尋ねください

 

白浜のおいしいもの四季

あわび さざえなど 漁期は5月〜9月10日 女性は海女といい男性は

海士(かいし)という

食用菜花  12月〜3月 千葉県は出荷量日本一 その90パーセントが白浜産

そらまめ  3月〜5月   路地ものでは日本一早い

めめ    春先 わかめの新芽 

はばのり 11月〜12月〜2月 引き潮の時 岩場に生えた はばのりを採り 

海苔を干すように天日に干し 乾燥させる 焼いて お雑煮や味噌汁 酢の物などに。 

はばをきかせる といって縁起物 お正月にはかかせない 初物は 一枚 400円〜700円

で売られている

うつぼの干物 秋から冬にかけ あぶらののったうつをぼ干し焼いて食べる 

小骨のあるあたりはからあげに

なめろう  鯵などの白身の魚をたたきつぶしてみそしょうが  おおばとあえる

さんが  なめろうを あわびの殻などに伸ばして焼く また   はおおばに包んで 焼

くくじらのたれ 鯨の肉をたれに漬けて干したもの焼いて食べる( 白浜に昔捕鯨基地がありました)

いそっぴ 磯の小さいカニ すりつぶして 味噌汁に入れる 

フコ  春の クコの新芽 おひたしに                 

 

      

              小説 映画  己が罪(おのがつみ)  、、自分の罪          

明治の文豪 菊池幽芳の作品   己が罪の舞台となった 根本海岸  

今も かぶと岩にその碑が立っています

昭和30年に 新東宝で映画化 全国で大好評を博しました(監督 毛利正樹 

主演 音羽信子)

根本付近は 関東大震災などで 2メートル〜5メートルほど 隆起した為 

かぶと岩は干上がった岩山になってしまいましたが、、

あらすじ箕輪たまきは 結婚前にできた子供を 泣く泣く里子にだしましたその子 

玉太郎は ここ白浜で たくましい12歳くらいの 男の子に成長しておりました  

たまきは その後結婚 男の子を授かりましたその子 正弘は4歳くらい 

腸チフスの養生のため ここ白浜にやってまいります 血が血を呼ぶのか 

二人は出会い ふれあい 急速に仲良くなります ある日 根本海岸で 

岩場遊びに夢中になり かぶと岩の上で 

潮の満ちてくるのも気づかず 遊んでおりましたさっきまで足元は砂地 

陸まで続いていたのに 気づいた時はすでにまわりは海  兄弟とは知る由もないまま

 兄は弟を抱きかかえ それも及ばず 兄は弟を背負い 泳ぎはじめますが 

潮の流れは速く、、、、      、二人に兄弟の名乗りもさせず 

一度に二人の子供を失った それもこれも己が罪

(おぶって泳ぐシーンに地元の少年が起用されました)

 

                          

 

                        白浜を訪れた文人

平安の昔から 野島は歌に詠まれています

明治時代  菊池幽芳 大町桂月 小栗風葉 徳富蘇峰 正岡子規       

        伊藤左千夫 長塚 節 若山牧水 大正時代  前田夕暮 与謝野晶子 

昭和    林文子 上林暁 長谷川伸 田宮虎彦 石川淳 窪田空穂 中村草田夫 

      高田波吉 坂本越郎 大賀知周       まだまだいるでしょうけど

 

 

       若山牧水について(根本地区 牧水碑)

宮崎延岡の出身 歌道に精進し 早稲田の3水(射水 蘇水 牧水)とよばれた  

 43歳で生涯を終える根本あたりの旅館に長く逗留してたようです

はじめに来たのは 人妻との不倫旅行 その時の歌は情熱的

二度目はその恋に破れての傷心旅行 悲しい歌 寂しい歌白浜で 

150にもおよぶ歌を詠みました 

明治40年のことです  明治四十年十二月下旬、小夜子と 根本海岸を訪れ

正月を過ごす。

<女ありきわれと共に安房の渚に渡りぬ。われその傍らにありて夜も晝も絶えず歌ふ

山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅ゆく

岡を越え真白き春の海辺かいへんのみちをはしれりふたつの人車くるま >(『別離』)

<山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇くちを君>(『海の声』)

なぜ根本に牧水の歌碑があるのか 教えてあげてね 

  。         

 

      紫雲寺

1250年創立 鎌倉時代  開祖は 行基菩薩    安房八十八ヶ霊場第一番  

 木造如来形坐像 平安中期の作  町文化財   銅造観音菩薩立 像鎌倉時代末頃 

町文化財   本堂にて ふれあいコンサートなど

 

     下立松原神社         

 小鷹明神、あるいは滝口明神と呼ばれていた神社。

祭神・天日鷲命(あまのひわしのみこ)天太玉命の後裔である

天富命(あまとみのみこ)が、天日鷲命の孫・由布津主命を率いて、

阿波から当地(安房)開拓のため上陸したという。

由布津主命が、祖神である天日鷲命を祀った神社。

『義経記』に、源頼朝が平家との石橋山の合戦に敗れ、

安房へにげのびて、まず、洲崎神社へ参拝し、その夜、当社(滝口大明神)で

通夜したとある頼朝は 小鍛冶宗近の太刀を奉納里見義実は、

それにならって 村正作の太刀を奉納し武運長久を祈願したという。

境内の力石(132キロの石もある)

力くらべをしたらしい天保年の42歳の方の名前が見られます。

神社は昔には 別の場所にあったらしい

近くに滝があり たえずしぶきがあがっており

その様子が まるで霜がたっているように見えていたことから

下立の名がついたといわれる。

 

     ドラゴンズ トライアングル  魔の三角波 

房総沖と伊豆諸島、グアム諸島の3点を結んだ、三角形の海域がそう呼ばれています。

1969年から1980年までの間に

救難信号を出す間もなく 沈没した大型船が14隻もありました。

特に冬場、太平洋の大きなうねりと、北西季節風とが鈍角で交差し、

時には10メートル以上に達する大きな三角波が発生することで

知られている海域です。

1969年(昭和44年)1月4日、鉱石運搬船“ぼりばあ丸

また、約1年後の1970年(昭和55年)2月9日、

同じく鉱石運搬船“かりふおるにあ丸を沈めたのも、

巨大な三角波の仕業だと言われています。

船乗りたちこの海域を“魔の海域”と呼んでるそうです。

2003年に、NHKテレビ番組「プロジェクトX」で昭和55年12月30日、

野島崎沖・東南の 太平洋を舞台にした救出劇が放映されました。

当時、海難事故が相次ぎ、「低気圧の墓場」と恐れられていた野島崎沖。

荒れ狂う嵐の中、船首が折れた大型貨物船 「尾道丸」はまさに沈没寸前 

近くを航行中の 大型貨物船「だんぴあ丸」 が現場に急行し

二重遭難の危険を顧みず、

44時間に及ぶ必死の救助活動の結果、尾道丸の乗組員29人全員を救出しました。

瞬間風速25m以上の暴風雨が吹き荒れる中、3日間の戦いでした。

 

  

    ちょっと白浜散策!じょうやま と 里見義実 と 里見八犬伝

 じょうやまについて少しお話します地元の方に聞いても

「城なんかねえよー 城跡なんかねえーあーんもねえよ」

と言いますが戦国時代の城とは、とりでのようなものだったらしいです。

天守閣のある城は 安土桃山時代以降だそうです。

それでもここ白浜城の広さは東西1キロ、南北500メートルと

房総においての その頃の城としては、最大級という広大な広さを誇っていました。

その当時は 山の下まで海が迫っていて ここは海洋交通の要所でした。

商人たちは通行税をはらって、海上の安全を手にしてました。

そして、ここ白浜は里見八犬伝のふるさと、発祥地なんですよ!

関東管領(かんれい)(関東を治める役)の上杉家と古河公方(こがくぼう)の

抗争が始まり 上杉氏の勢力を房総から排除する為、古河公方派から派遣され

じょうやまに城を構えたのが 見義実 南総里見家初代です。

時は室町時代中期(戦国時代前期)里見家は由緒正しい

清和源氏の血筋で出身地は群馬県です。里見義実から忠義まで

鳥取に転封されるまで、10代約170年間、房総を治めていました。

改易となったのは、江戸時代2代将軍秀忠の時です。

時の家老の失脚により その孫娘を嫁としていた里見家も、

連座の罪を負わされました。不条理な改易を哀れんで のちにあの有名な

南総里見八犬伝が滝沢馬琴によって執筆されました。

伏姫のモデルといわれる種姫は、里見氏の姫で

夫を亡くしてから白浜で尼寺を守っていました。

じょうやまの麓近くに碑が建てられています。

展望台からは伊豆七島が望めます。

整備されてる板道や木の階段、木の葉道、1時間もあればOK!

城山に向かって左側から登るのがいいかもね。

                          行ってらっしゃい!  

 

   青木区 弘法大師の芋井戸

むかし、むかし、房州白浜の青木の里に おばあさんがおりました。

ある日、おばあさんが 井戸端でサトイモを洗っていると「こんちちは、

すいませんがおばあさん、おなかが空いてますので私にそのイモを少しばかり 

分けてくださいませんか」と頼む人がいました振り返って見ると、そこには

見ず知らずの みすぼらしい旅のお坊さんが立っていましおばあさんは、

「おめえさんは、どこのだっだー?。 見ず知らずのおめえさんなんかに 

やるイモはねえだあよ」

とけんもほろろに断ると、また せっせとサトイモを洗いはじめました。

たくさんのサトイモを 洗い終わって、帰ろうとすると、さっきの坊さんが

「ほんのひとつでも 分けてくださらんかなあ」

とおだやかな面持ちで頼むのでした。おばあさんは「このイモはのー、

石イモというてのー 食えるようなしろものじゃねえだーよー」とウソを言ってごまかすと、

サッサと行ってしまいました

「さようか、石イモか」と旅のお坊さんは、独り言のようにつぶやきながら、

おばあさんを見送っていました。

家に帰ったおばあさんは、さっそくそのサトイモを煮て、さあて食べようと 

口に入れたところ 充分に煮たはずのサトイモが どれもこれも石のように固く、

とても食べられません  

どうしたことかと思いながらも しかたなく そのサトイモを捨ててしまいました

それから何日かがたちました、

サトイモを捨てた その場所からこんこんと清水が湧き出していました

そして捨てたサトイモから芽が出て 

葉が青々といっぱいに広がっているではありませんか。おばあさんは 

たいそう驚きました旅のお坊さんは 

弘法大師だったのです。その後 おばあさんはすっかり改心し、

信心深いやさしい人になったという

「青木の弘法大師のいも井戸」のお話です今でもその場所には 

清水が尽きることなく沸いて 

地区の皆さんに大事にされています                            

                               語り聞かせ用に編集しました 真田妙子

 

松明の灯り 新作民話   早川郁夫作

白浜の海女たちは、むかし 貝や真珠を獲り、都の朝廷に献上していました

いまでも海女といえば白浜 白浜といえば海女 海女なしでは語れません

白浜の海女たちは、同じ地区の仲間で、ひとつの海女小屋で 夏場の漁期の間、

一緒に休憩したり、暖をとったりします。そして 仲良く助け合って漁をします

海に入って「潮がひゃけぇ」(冷たい)か、「暗れぇ」(暗い)かどうか、

確かめるのは若い海女の仕事です。海女のひとりひとりは、それぞれ自分だけしか知らない

海の中の秘密の場所を持っております 

その場所のことを「トッツオ」と言います

獲物の少ない日などは、トッツオを見に行って漁をしてくるといいます

仲間の海女が漁が少なかった時など

海女たちはお互いに獲物を出し合い

家の姑への義理も立つよう、

特に老海女 若い海女たちを助けておりました。

海女小屋の仲間たちは、先輩から後輩に いろんなことを教え

早く一人前の海女になるよう話して聞かせます。

「欲に目がくらんではダメだぁ。命が幾らあって足んねぇ」と

老海女は、話します。

「命あっての海女作業、もぐった帰り道ぶんの息は 残して置け。

死んじまっては、元も子もねぇ。」と教えておりました。

ある日、若い海女は、この間、初めて見つけた 自分だけのトッツオにもぐりました。

仲間から少し離れ、目印の場所にやってきました。

今日は、まだあまり漁がありません。

期待して潜って見たら、その場所に沢山のアワビが居るわ、居るわ。

若い海女は、日頃の老海女や 先輩海女の注意など忘れてしまい、

夢中でもぐりました。そして、その時、事故が起きたのです。

夕方になり、皆が海からあがる時、若い海女の姿だけががありません。

先に上がったと思い 海女小屋に戻りましたが、若い海女の姿は見えません

老海女は、もしかしたら!と直感しました。

浦々の海女に呼びかけ、薄暗くなった浜辺を 松明をかかげて 若い海女を探しました。

若い海女は 近くの海岸に打上げられていました。

若い海女は、たくさんのあわびを見て、つい欲が出て夢中になり、

息つくひまを忘れ、気を失ったのです

それを探していた仲間の海女に発見され

一命を取り止めることが出来ました。

海女たちの 仲間を思う強い愛 に助けられたのです。

毎年、恒例となっている「白浜海女まつり」の

松明を持って海に入るハイライトのシーンは

海女たちの仲間を思う強い愛・結びつきを現しているのです。   

 

創作 早川郁夫氏

語り聞かせ用に変えさせていただきました 真田妙子

 

  

           5月 あわびの素もぐり漁が始まります

まだまだ冷たい海に、海女、海士(かいし=男性)が入ります。

あわび、さざえ、とこぶし、しったか、などの漁が9月10日まで行われます。

白浜の海女、海士は現在約400名です。

漁具は、まげ樽(直径30cm、深さ25cmの浮樽)、

すかり(獲物を入れる網袋)

いそっかね(あわびをはがす金具)

水中眼鏡などです

凪の日はそこいらの波間から「ヒュイーヒュイー」と

海女が息を整える時の呼吸音が聞こえてきます。

磯笛と呼ばれます。お時間がございましたら海辺にお出かけになって、

磯笛をお聞き下さい。    

 

               杖珠院の梵鐘

みなさん このお寺に梵鐘 釣鐘はありましたか見当たらなかったですよねー 

梵鐘が無いわけが 白浜の民話になっておりますので、その民話をご紹介いたします。

昔むかし、里見のお殿様の眠るここ杖珠院に、大きな梵鐘を寄進したいという大名があらわれました。

その大名は、京の都で 腕のよい鋳物師(いものし)に頼み、

それはそれは大きくて とっても立派な梵鐘を造りました 大阪から

千石船をしたて、白浜まで運んできました。

ですが、千石船は 白浜の沖に着いたものの、岸につけられません。

白浜には 大きな船をつける港がありませんでした。

しかたなく、侍たちは、地元漁師の小船を 何隻かつなぎ、梵鐘を陸揚げしようと考えました。

千石船に 横付けした小船へ、積もうとしたそのときです。

大きな波が ザブーンときて、大きな梵鐘は ゴロンと傾き「ドボン」と深い海の底へ沈んでしまいました。

侍たちは、梵鐘が海へ沈んだのは 漁師のせいだと漁師たちを皆殺しにしてしまった、という事です。

そのときから、シケが近づきますと沈んだ梵鐘が、海の中で「ゴーン・ゴーン」と鳴り、

「しけがくっぞーしけがくっぞー」と、みんなにに知らせるようになったということです。

それかずーと、ここ杖珠院には 梵鐘が無いというお話です。

               読み聞かせようにアレンジしてます 真田妙子

 

 

           白浜のパワースポットへいってみましょ

青木観音堂

観音様とおびんずる様が癒してくれます

 

弘法大師のいも井戸

弘法大師=空海 平安時代初期 真言宗の開祖

尽きることのない清水が湧く井戸です心と体にに潤いを与えます

各地区にある弁財天の小さいお社

小さい赤い鳥居が目印

弁才天は 財運がひらけるパワースポットです

青木の太子堂 おていし様

入試 入社 物事の成就に霊験あらたかであるといわれます

 

砂取地区の浜辺にある黒岩

すっごく大きい岩が砂浜にドカッ!とあります 

干潮の時に行って触ってきてください

荒波にも屈しない石=意志の強固財運が開ける 

黒字になる パワースポットです                     

 

     青木区太子堂の祭り

「聖徳太子は観音菩薩の生まれ変わりである」とする考えもあり

室町時代の終わり頃から、太子の命日、2月22日、あるいはその前

日、各地で祭りが行われるようになりました。

笛や太鼓と共に、屋台が区内を巡る青木区の太子堂のお祭りについ

ては、始まりの年ははっきりはしていませんが、明治時代からだと

もいわれております。

昭和40年代までは、寒の内の、2月22日のお祭りでしたが、

子供たちの半天一枚の姿は、あまりにも可哀そうだと以後、区の

青根原神社の祭りと一緒に、7月に行われることになりました。

 

屋台のお囃子の曲目は

ばか囃子 野毛の山 矢車 4丁目(しっちょうめ) 祥天

渡裡(わたり)  鎌倉 須賀 岡崎 二重座などの10曲目です

 

当日は午後から、威勢の良いばか囃子で、老若男女が綱を引き、屋

台が動き始め、区内を巡り、夜、暗闇の小道を、綱を引く人々の提灯の

あかりに導かれ 途中 今は歌いても少なくなった、道中木遣りなども

奉納されながら進みます。

夜になると一層良く響く、笛の音が不思議な郷愁を誘います

4丁目(しっちょうめ)が太子堂前で奉納されて、祭りは終了します。

 2ねんごとの、7月の第3日曜日です 

みなさん!遊びに来て下さい。一緒に屋台を引きまししょう

 

区の「祭り囃子保存会」とOB有志が指導にあたり、文化伝承に尽

力しております。

 

   本尊太子像の説明

青木区の太子堂の本尊である太子像は、髪を両耳の上で結い、両手

で柄香炉を持ち、袍・袴を着けてるお姿です。

檜材の寄木造りで、像表面には彩色が施されています

銘文により、寛文7年(1667)8月18日に造られたことがわかります。

また、江戸霊巌寺内寂蓮杜の然誉の造立であることも記されていま

す。本像は制作後、この地に移されたものと考えられています

体内に如来像を納入したことも記されているそうです。

南房総市指定・有形文化財(平成16年4月1日指定)

南房総市白浜町白浜1735(所有:青木太子堂)

像高76.9センチ                             白浜町青木 真田妙子 著  

               

     房日新聞社御中

20日掲載のミヤコグサに思いを寄せ投稿しました。

皆様もご存知のように、風光明媚な白浜は、平安の昔から歌に詠ま

れて来ました。

明治、大正には多くの文人墨客が訪れてます。

明治38年、白浜を訪れた長塚節は

「白浜の野島が崎の松陰に芝生にまじるみやこ草の花」

とミヤコグサに思いを寄せた歌を詠んでいます。

平安の昔都から移り住んだ人々の中には、見目麗しい姫君もいた

かも知れません。年月が過ぎると徐々に郷に従い、それでもみやび

な面影は消えることなく、それが芝生や雑草に混じり咲くみやこ草

と重なって偲ばれる・・・・(私個人の解釈ですが)

ミヤコグサは今は全国に分布してるようですが、

昔は京都の郊外に多く見られたそうです。

数年前までは白浜の海岸の荒地に、ぎっしり咲いてました。

その頃館山の女性が撮った、白い野島崎灯台をバックに、海岸一面

黄色い、可憐なミヤコグサが咲く素晴らしい写真が、ご近所のお蕎

麦屋さんに飾られてるのを発見!ミヤコグサ愛好家(?)には必見

です。

 

 

 

 

 

 千葉県南房総市白浜町 最南端の小料理屋 

海の幸グルメなら、ここ!

小春(こはる)



 

予約&お問い合わせ先:0470-38-4369

営業時間 18:00〜 毎週月曜日定休

*ご予約に限り、昼間、夕方の貸切営業も可

小春 295-0102 千葉県南房総市白浜町白浜2782-22

(海岸通り沿い/「南国ホテル」下/「ひものセンター」すぐ隣)

 

 

 

白浜飲食店組合では他にもたくさんのお店を紹介しています↓

 

小春は地元出身ミュージシャン HARU&THE WILD HONEY BEESを応援しています!

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